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露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。                                                  国分寺市本町2-25-15     ℡ 090-1400-7141   12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)

2024年04月26日 (Fri)
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2013年08月24日 (Sat)
※  サマータイム営業のおしらせ

例年どおり、 8月いっぱいは営業時間を変更させていただきます。

月曜日~土曜日  午後2:00から午後8:00

日曜日      普段と変わらず 午後1:00から午後7:00



※  8月の出店予定

 2日(金)  骨董ジャンボリー (東京ビッグサイト)  10:00 ~ 17:00
        ブースNo.は、M3a
 3日(土)  同上   
 4日(日)  同上
11日(日)  布多天神骨董市 (調布駅)
18日(日)  高幡不動骨董市 (高幡不動駅)
24日(土)  調(つきのみや)神社骨董市 (浦和駅)

立川諏訪神社骨董市は休みですので、 ご注意ください。







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2013年08月23日 (Fri)
「夢は夜ひらく」 は藤圭子より前の、 緑川アコのが好きでした。
藤圭子のは二番の、 「昨日マー坊今日トミー明日はジョージかケン坊か」 ってとこがいやだった。
いかにもオジサンの考えたベタな不良少女像みたいでね。

当時まわりに藤圭子が嫌いな人っていなかったなあ。
私の部屋に貼っていた顔のアップの特大ポスター、 みんなほしがってたもの。

あの頃は、 「前近代的なもの」 が人気を集めていたのだった。
結構すみずみまで。
あれは何だったんだろう。

今村昌平の土着的なもの、 寺山修司の田舎的なもの、 深沢七郎の庶民的なもの、 土方巽の農民的なもの。
 そういうものにこそ価値があると思い、 競って発掘?し、 どれだけ身につけられるかと思っていた。
青江三奈や藤圭子の歌の人気もその文脈だったんだと思う。
でなければ、 なぜ彼女たちの演歌ややくざ映画が学生たちに絶大な人気だったか、 今の若い人にはわからないでしょう。

彼女のインタビューの受け答えなどは、 あっけらかんとしてとても可愛かった。
だって17歳だったのだ。
「不幸な少女」 のイメージを背負わせたのは、 作詞家、 評論家、 作家などのオジサンたちである。
ひょっとしたら彼女はそのとき、 「不幸であるべきだ」 という呪いをかけられたのかもしれないと思う。
全然暗くない、 あっけらかんとした、 飾らない少女だったのに。






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2013年08月15日 (Thu)
 

1970年代日本製の未使用品。
こんなに大きなのは初めて見ました。
山で買ったのですが、 現在5、6個残っています。
作品制作されるお客様が多いので、 その容器になればいいなと思いました。
フレキシブルな額縁、 的なね。

別に作品としてがんばらなくても、 わけのわからない破片やガラクタや意味のないものほど、 大事な宝物のごとくガラスに入れるとすてき、 と個人的に思っているんですが…。 

                直径 19㎝  深さ 5㎝     1P ¥2000



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2013年08月10日 (Sat)
あららら、
五十嵐秀彦句集(アルス) とはなれられない。
幸いにも軽い本なのでどこにでも持ち歩いている。

座右の銘?
ちがうなあ。
そんな頭と思想と関係なくて、
何と言ったらいいかな。
もっとカジュアルに、 ハンカチを持ち歩くように、 日常的に必需品になってる。
いつでもどこでもどこからでも読める、 モバイルな本。
カジュアル、 って失礼な言い方なんでしょうか。


私も昔、 定型詩日記みたいの書いてたことを思い出して、
ひさしぶりに読んでみたら、一人でテレてしまった。
五十嵐さんに添削をお願いしようかなと思ったけど、自己流で基本を知らない恥と、 私生活の恥と、 二重の恥だからやめとこう。
おまけにめっぽう暗い。
よく、「夜中に書いたラブレターは朝になると読めない」 というけれど、
20才前後の文章なんてみんな 「夜中に書いたラブレター」 なんである。
私だけじゃないでしょう。


こんな、 持ち歩きたい本って今までにあったかなと思い出してみると、  ―――あった気がします。
でもやっぱり全部19か20才くらいのときだった。
思潮社の現代詩文庫とか吉本隆明初期ノートとか寺山 「ひとりぽっちのあなたに」 とか、 どこからでも読めるものばかり。
ひさしぶりに、 そんなことを思い出しました。

句を作る友人と、 寺山修司の弟子筋の友人山田勇男さんに贈るべく、 あと二冊注文いたします。


叢に指と句集をのぼる蟻


つゆ草と似合ふ角度に句集置き

(オソマツ)






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2013年08月05日 (Mon)


私は俳句の鑑賞の仕方がわからない人間で、
謎かけのような短いことばに評者が 「これはこういう意で」 と謎ときしながら評するのを読んでも、
そんなこと最初からわかったためしがないのです。
禅問答かと思う。
裏読みのできないボケタイプなので、 なんとなく苦手意識がありました。
短歌の鑑賞の仕方はわかるような気がする。
とっても短い小説のようなものだから。

ところが、 この句集は、 音楽を聴くように、 わかる。

そういう鑑賞でいいのかな。
無心に読んで、 感覚に沁みる。

「うしろ手に菫隠してゐたりけり」
の句や、
「鰐を飼ふ青年教師夏休み」
の句は寺山修司を思わせて、 ああいいなあ、 と思いながら読んだのですが、

実は一読して、 どきんとして、 すぐ涙があふれてきた句がありました。  自分でびっくりです。

「一代の咎あれば言へ沙羅の花」
(こういう人は多かったのではないでしょうか。
人はみな咎ある身。)

やさしくて、 ものがなしい作風、 と思い込んでいると、
ときどき、 激しい句にぶちあたったりします。

音楽を聴くように、 言葉を味わっています。 





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