露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
ほれぼれするような銅やかん。相変わらず目がなくて、相変わらず失敗し、(使用不可能。)成功例だけを売ってます。これは数少ない成功例。日本製の厚手で、狙ってない(当たり前だね)ゆがみがたまらない。蓋部分が大きく開くので使いやすそうです。
今年はね、あまり仕入れしないの。 在庫を売るの。
去年、木の学校机が売れた時のこと。 そのスペースにすぐまた同じような学校机をはめ込んだ。
すでに在庫があったんです。
置きながら、、ああ、こういうことするから、モノが入れ替わってない、って言われるんだな、と思った。
よく見てね、落書きが違うんだからね、とも思いつつ。
アルミやかんの売れたあとに、全く同じのをぶらさげたり。(だって定番で売りたいんだもの)
それで、反省しましたの。同じ在庫をこんなに抱えこんでるなんて、あんまりだ、と。
数モノの仕入れは仕方ないけど、学校机が数モノであるわけがない。 言い訳できないです。
今年の目標。
在庫をまず売る。
売れてから、仕入れる。
業者のみなさん、買おうとしたら、どうか、「あるでしょ?」 の一言を!
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お正月らしいショットがなかったので、普段の店内を。
こともなし、の、静かなお正月を過ごしました。
型通りの料理を作り、でも三日の朝には家族全員和食に飽きている、ってとこまで恒例です。
北国は雪掻き大変だろうな…。
※1月の骨董市出店のお知らせ
9日(土) 阿佐ヶ谷神明宮 (いつも第一土曜ですが、1月だけ変則です)
10日(日) 調布布多天神 (とても雰囲気の良い市で、大好きです)
15日(金) 世田谷ボロ市(代官餅を売ってる路地の、ボロ市通りから二軒目)
17日(日) 高幡不動尊
23日(土) 浦和調神社
※もひとつお知らせ
当店のスタッフ、いよちゃんが、いよいよ漫画家デビュー! 小学館「フラワー」という少女漫画雑誌です。今店頭に並んでます。
「まえだいよ」のペンネームです。
天然な感じのご本人と違い、とっても抒情的な作品。がんばれ、いよちゃん。
店としては、忘れ物をされたお客さんの似顔絵などをさっと描いてくれるので(似てるんだ、これが。)とても助かってます。
今年はどんな年になるのか、考えてもしょうがないので、自分に出来ることを、マイウェイ(方法)で、ひとつひとつの事象に対処していくしかない、のでしょう。
その判断が的確に出来る人になりたいです。
今年もよろしくお導きのほどをお願いします。
駆け込みで、映画 「THIS IS IT 」を見に行く。
しょっぱなの、バックダンサーのオーディションに参加した若者の言葉から、ずっと泣きそうな気分で見ていた。
「 人生ってつらいだろ?夢中になってうちこめるものが必要なんだ…。」
そうさ、つらいよね。
一人で歌った「ビリー・ジーン」のリハーサルが圧巻。
Michael Jackson が亡くなった年。
三沢光晴さんが亡くなった年。
清志郎が亡くなった年。
店からガクとソーマイがリタイアした年。
りょうが来た年。
来店していただいたお客さま、ありがとう。
業者さんたち、ありがとう。
ご近所さん、ありがとう。
スタッフのみなさん、ありがとう。
私は「紋切り型」のことばが好きなので、
よいお年を!
最終日の一日前に駆け込みで観にいった。
なんて久しぶりの芝居だろう!
最後に見たのは、80年代の、風の旅団。
80年代以降の、第三世代といわれてる劇団は、何も観ていない。
70年代の演劇団、天井桟敷、曲馬館、状況劇場などを観ていたので、それらを越える体験は出来ないだろう、と思っていたから…。
今回は、でも、観たかったのだ。 (「田園に死す」だし。)
で、見終わって、一番最初に思ったこと。
「うすい…。」
時代だよ、と言ってしまえばそれまでだけど。
あえて、言わせていただきます…。
役者の動きの(=情念の)、過剰さが、ない。
舞台美術の過剰さが、ない。
言葉の過剰さが、ない。
観客を異界のはるか遠くまで連れ去ってくれる、力ずくさが、ない。
「全裸に赤い腰巻き一つ」で、何かが憑依したように演技する女が、いない。(これは別に、いつもいなければいけないというものじゃない)
観客への挑発が、ない。
「いわゆる河原乞食」の特権が、ない。
また同時に、合わせ鏡のような、観客の 「切実な、観念の飢え」 が、ない。
これは、誰のせいでもないのだ。(誰のせいでもないから、時代性というのだろう…。)
むしろ昔のほうが、技術的には未熟だったと思うし、そんな「嵐が吹き荒れる」 みたいなほうが、いい時代だったというわけでもないし。
だから、リアルタイムでその「過剰な文化」 をしらない人たちに、何かを言いたいのではない。
いったい私は、今回、何を欲して行ったのだろう…? とだけ、思ったのだ。
過去に、飢えを満たされた記憶があるならば、それでいいのではないか?
たぶん、演劇でなくても、なんの世界でもいいのだ。
時代の「うすさ」に関係なく、「過剰な表現」 と、それを欲情する飢えた人たちとの、現場が、いつの世も、あるに違いない、と思いたかったのだ。
そういう種類の人間は、いつの時代でも、いる、と…。
それが、今回は、感じることができなくて、さみしくなっただけです…。
なんて久しぶりの芝居だろう!
最後に見たのは、80年代の、風の旅団。
80年代以降の、第三世代といわれてる劇団は、何も観ていない。
70年代の演劇団、天井桟敷、曲馬館、状況劇場などを観ていたので、それらを越える体験は出来ないだろう、と思っていたから…。
今回は、でも、観たかったのだ。 (「田園に死す」だし。)
で、見終わって、一番最初に思ったこと。
「うすい…。」
時代だよ、と言ってしまえばそれまでだけど。
あえて、言わせていただきます…。
役者の動きの(=情念の)、過剰さが、ない。
舞台美術の過剰さが、ない。
言葉の過剰さが、ない。
観客を異界のはるか遠くまで連れ去ってくれる、力ずくさが、ない。
「全裸に赤い腰巻き一つ」で、何かが憑依したように演技する女が、いない。(これは別に、いつもいなければいけないというものじゃない)
観客への挑発が、ない。
「いわゆる河原乞食」の特権が、ない。
また同時に、合わせ鏡のような、観客の 「切実な、観念の飢え」 が、ない。
これは、誰のせいでもないのだ。(誰のせいでもないから、時代性というのだろう…。)
むしろ昔のほうが、技術的には未熟だったと思うし、そんな「嵐が吹き荒れる」 みたいなほうが、いい時代だったというわけでもないし。
だから、リアルタイムでその「過剰な文化」 をしらない人たちに、何かを言いたいのではない。
いったい私は、今回、何を欲して行ったのだろう…? とだけ、思ったのだ。
過去に、飢えを満たされた記憶があるならば、それでいいのではないか?
たぶん、演劇でなくても、なんの世界でもいいのだ。
時代の「うすさ」に関係なく、「過剰な表現」 と、それを欲情する飢えた人たちとの、現場が、いつの世も、あるに違いない、と思いたかったのだ。
そういう種類の人間は、いつの時代でも、いる、と…。
それが、今回は、感じることができなくて、さみしくなっただけです…。
毎年この時期になると、ひそかにいい光景が見られるのです。
男の子(たいてい) が店内を一時間以上かけて見てまわり、こまごましたものを、物色する。
あっちをやめてこっちにしたりと、それはそれは真剣に。
プレゼント用にラッピングを、と言われるので、彼女へのクリスマスプレゼントだとわかります。
予算が少ないのでしょう、総額でも二千円くらい。
だけど、この選んでるときの様子を、彼女に見せてあげたいなあ、といつも思ってしまう。
いじらしいくらい真剣なんだもの。
きっとね、見たら感激するよ。
でも以前、古い花のついた髪どめとか、中原淳一風のイラスト葉書とか、昔の少女趣味なこまごましたものをお買い上げの男の子がいて、てっきりそうだと思い、「プレゼント用ですか?」 と尋ねたら、「いや…。」 と一言。
あ、失礼しました、気まずい思いをさせちゃったかな、としきりに後悔したので、そのとき以来、お客様から言われないかぎり、こちらからは訊かないことにしました。
先入観は、よくないです。