露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
母親の納骨のため帰省した。
もう家も親もないんだけど、帰省と言ってもいいかしら。
小樽に2泊。遺骨はびっくりするほど重かった。大荷物なので手荷物と別に機内持ち込み出来るのか確認した。義父の時も私が運んだがこんなに重かったっけ。
ホテルは、なんか小樽らしい建物だなあと思ってテキトーに予約したんだけど、連絡した友人に「そのホテルは旧拓銀のビルで、一階で小林多喜二が事務をしていたところだから心して泊まれ」と言われた。ハイ!
千歳空港からの電車で見る白樺林でやっと「北海道に帰った感」。思ってたより暑いわ。
小樽に着いた。駅のホーム、変わってないわ〜と騙されそうになったけど観光用にわざと作ってるのね。やるね〜。駅舎は外観変わってない。
何はともあれ「光」のコーヒーとケーキ。観光スポットですしねえ。
ホテルチェックイン。夜中なんか出そうな古いホテルだけど、多喜二さん出てきたらハグして握手してもらいます!
窓を覗いてびっくり。ホテルの真向かいのこのビルは母の職場だった。
私は小学生のとき毎日放課後ここに通い、宿題をし、屋上で一人遊びをし、一緒に帰っていた。
偶然とはいえ納骨までの一晩この界隈に泊まれて母も本望だろう、と勝手に。(ウソね。本望だったのは私。)
同じ界隈の日銀小樽支店。
油絵描き始める子はこの建物を描くというのが通過儀礼なのだ。そして古い街並み、建物、運河のモチーフの絵は「小樽派」と呼ばれていた。
ホテルロビーと朝食スペース(パンとコーヒーor紅茶、スープだけのシンプルなセルフ。潔くてよい) が居心地がよい。
思うにこのホテル、一人旅に最適です。古さが温かいのです。
翌日、午前中で無事納骨の儀式があっけなく終了。
そもそも「死んだら小樽へ」と言い出したのは義父です。学生時代しか小樽にいなかったのに〜。
その連れ合い(母)も離すわけにいかなかったから、もうここには身内いないのにどうすんだよ〜と思いながら、でもおかげで今回小樽に来れた。
午後は地元の友人が車で市内を連れ回してくれた。オタモイ海岸(絶景!)。私の中学校、高校(べつに感慨はありません…)。
ただし高校のすぐ裏の和光荘という洋館は懐かしかった。ここも絵のモチーフ名所でした。
チェックアウト。このすてきなホテルにまた来られますように。
このガラス玉の飾りは世界地図の加工でした。うーん、大正時代の小樽、強気…!
いつまでも残ってほしいから、ぜひ泊まりに行って下さい。ウィークデーなら一人4000円くらいです。
【小樽のホテルならホテルヴィブラントオタル vibrant-otaru.jp/vibrantotaru/i…】
小樽滞在の最後に「小樽文学館」へ。落ち着いた空間。
なんて言ったらいいかな。文学というより、個々に生きた故人と親しい友人として会える時間だった。
それは「文学」という枠ではないのでした。
ありがとう小樽。
なんだか充実の旅行でした。
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