露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
二ヶ月くらい前のことでした。
阿部薫(as)のファンの知り合いの男性(40代)から、ひさびさの電話があった。
いろいろ話しているうち、「あなたの昔の文章が、引用じゃなくてほかの人の名前で出版物に載ってたのを見たことがある。」と言う。
聞いて、ふーん、と思った。
聞けば昔「阿部薫覚書」という本で、鈴木いづみさんの文の転載許可が得られなかったため、私が急きょいづみさんの文をめいっぱい引用して、ペンネームを使って書いた章、のことらしい。
なぜペンネームにしたかというと、他の章でもう本名で書いてしまっていたので、しつこいだろう、と思ったから。
あわただしく書いた文で、しかも巻頭だから「全部宣伝コピー」みたいなつもりだった。
ウソは書かなかったけど、クサい文のオンパレードだ。
あんなんでいいのか、とまず思った。
いや、そういう問題じゃないね。
ペンネーム文に著作権があるかどうかもよくわからないし、権利を侵害されたのは私じゃなくて版元かもしれないし、彼が目にしたものもいつ出たのかわからないし(また名前変えて出したと思ったらしい)、「いいよ、べつに。」と言って電話を切った。
でも、なんか、ちょっと釈然としない気分になってきたんだな。
無断引用、ならまだしも。(ただ私はその「出版物」は見てないので何ともいえない。)
古い話ならもうどうでもいいけど、最近とかこれからとかなら、結構いやだ。
でこの際、事実関係を一度だけ書いとこうかなあと思いました。
版元ランダムスケッチの「阿部薫覚書」という本は、当時「一人出版社」をやっていた友人の大島彰さんが出資して作った本です。
そもそも私が企画を持ちかけたので、(出版社としていい仕事になるから!とか言って。)原稿集め、インタビュー、そのテープ起こしなど実務を手伝った。
つまり計二名で作った本でした。
五木寛之さんの文の一部を帯にしたかったのでお願いした結果、氏のおかげでテレビで特集番組が作られたりしたけど、とにかく、初版二千部のささやかな本である。
(あれ?二千というのは、CDのほうの数字かな。千五百だったか?)
私は企画にのせてしまった責任上、彼が赤字を抱えなくてすんだ、ということだけでほっとしたもんでした。
その後、彼が文遊社に版権を売って、装い新たに出たのが「阿部薫1949ー1978」という本。これは今も店頭にあると思う。
そのときに、ある方々の文が消え、新しい方々の文が増えたりした。
私のペンネーム文もそのとき消えた。
だから、消えた文を使われても誰にもわからないのです。
どう考えたらいいのかなあ。
言葉や文章って、引用→引用→微変化→引用→また変化、って、伝言ゲームみたいに伝わって、最後は、読み人知らず、になっちゃうものかも知れない、とも思うし、ね。
ほら、と証拠だすことも出来るけど、古い話でその出版物もたぶんもうないだろうし、ここにこのくらい事情書いたことで、もう考えるのやめようっと…。
例えば、文章プロの方もやってるに違いないブログの文章って、どうなってるんでしょうね。
仮名だと著作権ないのかな。写真やイラストは?
なんか、古くて新しい問題かもしれないですね。
阿部薫(as)のファンの知り合いの男性(40代)から、ひさびさの電話があった。
いろいろ話しているうち、「あなたの昔の文章が、引用じゃなくてほかの人の名前で出版物に載ってたのを見たことがある。」と言う。
聞いて、ふーん、と思った。
聞けば昔「阿部薫覚書」という本で、鈴木いづみさんの文の転載許可が得られなかったため、私が急きょいづみさんの文をめいっぱい引用して、ペンネームを使って書いた章、のことらしい。
なぜペンネームにしたかというと、他の章でもう本名で書いてしまっていたので、しつこいだろう、と思ったから。
あわただしく書いた文で、しかも巻頭だから「全部宣伝コピー」みたいなつもりだった。
ウソは書かなかったけど、クサい文のオンパレードだ。
あんなんでいいのか、とまず思った。
いや、そういう問題じゃないね。
ペンネーム文に著作権があるかどうかもよくわからないし、権利を侵害されたのは私じゃなくて版元かもしれないし、彼が目にしたものもいつ出たのかわからないし(また名前変えて出したと思ったらしい)、「いいよ、べつに。」と言って電話を切った。
でも、なんか、ちょっと釈然としない気分になってきたんだな。
無断引用、ならまだしも。(ただ私はその「出版物」は見てないので何ともいえない。)
古い話ならもうどうでもいいけど、最近とかこれからとかなら、結構いやだ。
でこの際、事実関係を一度だけ書いとこうかなあと思いました。
版元ランダムスケッチの「阿部薫覚書」という本は、当時「一人出版社」をやっていた友人の大島彰さんが出資して作った本です。
そもそも私が企画を持ちかけたので、(出版社としていい仕事になるから!とか言って。)原稿集め、インタビュー、そのテープ起こしなど実務を手伝った。
つまり計二名で作った本でした。
五木寛之さんの文の一部を帯にしたかったのでお願いした結果、氏のおかげでテレビで特集番組が作られたりしたけど、とにかく、初版二千部のささやかな本である。
(あれ?二千というのは、CDのほうの数字かな。千五百だったか?)
私は企画にのせてしまった責任上、彼が赤字を抱えなくてすんだ、ということだけでほっとしたもんでした。
その後、彼が文遊社に版権を売って、装い新たに出たのが「阿部薫1949ー1978」という本。これは今も店頭にあると思う。
そのときに、ある方々の文が消え、新しい方々の文が増えたりした。
私のペンネーム文もそのとき消えた。
だから、消えた文を使われても誰にもわからないのです。
どう考えたらいいのかなあ。
言葉や文章って、引用→引用→微変化→引用→また変化、って、伝言ゲームみたいに伝わって、最後は、読み人知らず、になっちゃうものかも知れない、とも思うし、ね。
ほら、と証拠だすことも出来るけど、古い話でその出版物もたぶんもうないだろうし、ここにこのくらい事情書いたことで、もう考えるのやめようっと…。
例えば、文章プロの方もやってるに違いないブログの文章って、どうなってるんでしょうね。
仮名だと著作権ないのかな。写真やイラストは?
なんか、古くて新しい問題かもしれないですね。
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錆びた波板ブリキがかっこよかったので、車の中から撮りましたが、この写真じゃ魅力伝わらないな…。
自分では「大竹伸朗物件」と呼んでいるのですが。
2月の骨董市出店
6日(土) 阿佐ヶ谷神明宮
14日(日) 調布布多天神
21日(日) 高幡不動尊
27日(土) 浦和調神社
いずれも夜明けから午後2時くらいまで。 遊びにいらしてください。
少女漫画家いよちゃんのデビュー作「すずこちゃんのえりあし」(月刊フラワーズ収録)、身内びいきじゃなくて、とてもよかったです。
「終始涙をこらえてるような」主人公の内面がよく伝わってきて、とてもいたいです。
しかし普段のいよちゃんから、どうしてこんなネームが…。(失礼。)
いよ先生、と言わなきゃならなくなるかもね。
「いよ先生、ほら、こうしなきゃダメでしょ。」なんて。
蝋細工が美しい、古い内蔵標本。
古物には医療関係、実験室関係、というジャンルがあります。
クスリビン、フラスコ、試験管、という比較的ライトなものから、血沈台、点滴台、手術室ライト、診療ベッド、というディープな?ものまで、私は全部、OKです。
OKというのは、そういうのが苦手という方が意外に多い、と知ったから。
なぜ自分は、平気どころか積極的に仕入れてしまうんだろう、と思って、(今更だけど)最近思い出したことがありました。
十歳前後の頃だったか。
親に連れられてよく行っていた、大学の古い木造の建物。( 解剖関係?象の頭など解剖してた。)
廊下に木製の長い棚が何段もあって、そこに人間の頭蓋骨がびっしり、整然と並んでいた。
流木のように乾いた色をしていた。
親がそこで何してたのか、勉強していたのか働いていたのか、知らない。
私は今でも人間の大量の頭蓋骨の匂い、というものをはっきり思い出せる。
いやな匂いじゃなかった。
甘いような薬くさいような乾いたような。
漢方薬(大田胃散とか)の匂いが近いかもしれないです。
私この人が好き、とか、マイ フェバリット 頭蓋骨を選んだりして遊んだ。
あの頭蓋骨たちはいったいどこから来たんでしょう。
なぜ母が職場?に私をいつも連れていったかというと、預け場所に困ったからかもしれないんだけど、ある企みがあったんだと思う。
私を理系の職業を持つ人にしたい、という…。
医者か薬剤師か研究者か知らないけどとにかく「白衣を着る人」になってほしかったことは確かで、(「キューリー夫人伝」など与えられたし。)多分そのための馴らしなのでした。(しかし今思うと、荒っぽいやり方だ。)
だから実験器具類が平気なのも当然だと思う。
まあなんにせよ、親が子供の未来を設計するのは、間違っているし、ムダだと思います。
私は二十歳で自由で無頼の身となり、以後は、もやもやした文系的ビンボー生活を送って、理系学問などは小学生高学年どまりの(←あやしい!)、白衣ならぬ「毎日ジーンズの人」となってしまったのでした。
起きたらまず台所に行ってお湯を沸かします。寒い朝、お湯がわいたとたんに窓が湯気でパーッと曇ったのが、とてもきれいだったのでパチリ。 この棚は、かけがあったりして売り物にならないモノたちを、なんとなく置いてるだけ。
「男ってさー、」
と切り出したら、チョーさんがビクッとして腕が防御の姿勢になった。
いつだったか、何人かでとりとめのない話をしていたときのことです。
「なにやってんの?」
「いや、あなたが男ってさ、というと…」
なんだってんの。
「男って歳をとったほうがいい男になる人が多いじゃない。ショーン・コネリーとか、アル・パシーノとか。
女はね、歳をとってもきれい、とか、かっこいい、という人はいるけど、その人の若いときよりもいい、というのはいないよ。男っていいね!」
「そのぶん、若いときにちやほやされたんだからいいんだよ。」
そうなのか。 自覚するほどの経験ないから、なんか面白くない。
チョーさんが、最近にっかつロマンポルノのポスターを大量に仕入れた、というので、昨日ニコニコ堂に見せてもらいに行く。
宮下順子と片桐夕子が多かった。中川梨絵が少々。
監督は、藤田敏八、根岸吉太郎、黒沢清、森田芳光など、そうそうたる顔ぶれ。
にっかつロマンボルノは、これのどこがポルノ?ってくらい文学的だったりアメリカン・ニューシネマっぽかったりしたから、男女問わず若者に人気があったのだった。
忘れられない名作もある。白川和子が民宿をやってて、宿泊客の男を誘惑して、次々に殺していくの、何ていったっけ。
「昼下がりの情事」(ってオードリー・ヘブバーンだよね。) に似てるタイトル。
で、チョーさんは、骨董市には子連れもいらっしゃることだし、広げて売るのは自粛するそうです。
どうやって売るのかな。
ささやき戦術?
でね、絶大に人気のあったポルノ女優も、旬は短いなあ、と。
その後演技派や性格俳優に転身した人よりも、一瞬にして消えた女優のほうが、愛着と感傷を誘いますね。