露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
女子柔道の松本薫選手が 「緑色の小人」 を見たことがある、 と言うのをきいて、
じつは以前、 骨董市の片隅で数人でこっそりと 「小人目撃談」 が盛り上がったことがあるのを思い出した。
(世間的にへんな人と思われたくなかったので、 ひそひそと秘密会議のように。)
(でも書いちゃった。)
ある方の体験はごく最近なので、 生々しく具体的で。
小人のおじさんが、 いたずらを仕掛けて電信柱のかげから見ていた。 ジャージの服装。 クスクス笑っていた。 (らしい。)
小人って、 みんなおじさん。
私は子供のとき、 当時住んでた北海道帯広の家の土間で、 数人のぴょんぴょん飛び跳ねてるおじさんを見た。
すぐ茶の間の大人のところに走っていって、
「ねえねえ、 いま小人が …」 というと、
「はいはい。 早くごはん食べちゃいなさい。」 とかなんとかスルーされたので、 あ、 べつに珍しくもないんだ、 と思った。
(映画「ブロンコビリー」で、 汽車に乗っている子供が、 今カウボーイが! と叫ぶと、 お母さんが本から目を離さず 「あ、 そー。」 と言うシーンがあって、 このときのことを思い出したものです。)
小人は子供が好き。
小人はいたずらが好き。
コロボックルもノームも、 目撃した人の記憶だと思ってる。
「ルウルウ~」 はジブリの映画 「借りぐらしのアリエッティ」 と同じくメアリー・ノートンの小説 「床下の小人たち」 を原作としています。
なので、 「アリエッティ」 をみたとき、 すごく既視感が …。
この漫画、 アリエッティと同じくルウルウと人間との交流が優しくていねいに描かれていますが、 違うのは、 借り物での暮らしがおままごとのようにかわいらしく、 必要以上に細かく描かれていることで、 さすが少女漫画。
この細部、 リカちゃんごっことかを体験してないと描けません。
たとえば、 カフェオレボウルのバスタブ、 木の糸巻きのスツール、 マッチ箱を積み上げた引き出し家具、 枯れ葉のシェード。
この細部はいのちです、 少女漫画としては。
小沢真理さんの描く少女はどこかぼんやりしていて、 泣き虫で、 とても優しい。
講談社 (少女フレンド) なのに、 絵柄はなぜか集英社 (マーガレット) っぽい。
陸奥A子、 岩館真理子に通じるような。
彼女の代表作は 「世界でいちばん優しい音楽」 ということになるのでしょうが、 私は 「Blue」 とこの 「ルウルウ~」 が傑作だと思っています。
どっちも愛蔵書です。
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自分にとっては真夏の一大イベント、 骨董ジャンボリー無事終了しました。
半期に一度ここでしか顔を会わせない業者さんと、 まず再会を寿ぐ。
室内催事でしか売りたくないものって、 あるのです。
雨や日光にさらしたくない素材のもの。
持ち歩きで傷つけそうなもの。
それらが嫁いでいってくれるのが一番うれしい。
じゃそんなもの仕入れなきゃいいのにね、 って、そういうわけにもいかないんですよ …。
一日目の帰途、 激しく道を間違える。
予定通り赤坂通りを走ってるのにいつまでたっても根津美術館につかない。
(私のルートではそこから表参道→代々木公園の横→井の頭通りなのですが。)
なぜか用もないのに広尾とか元麻布のあたりを走ってしまい、 ぐるぐるしてなんとかなんとかたどり着きました。
詳細な手書き地図を作って (ここ道が太くなる、 って意味のないことまで書き込んでる。 それをフロントに張って見ながら運転する。)
ルートを決め打ちする、 という行為が、 間違いに対応できない元なのだ、 ということは、 わかっているのですけどね。
カーナビはほしくない。
夫の車のカーナビ女、 ばかでうそつきなんだもん。
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夫は 「あづまひでおの蒸発日記」 に憧れてるフシがあるので、
「そういえばしばらく会ってないなあ」 的な大島彰さんのわれわれの眼からの消え方を、 かっこいいと言う。
仕方ないじゃん、 と言う。
私は、 彼が元気なら絶対そろそろ顔を見せるはず、 という自信?があるのでもやもやと不安になっているわけだ。
それくらい、 お互いのプライベートまる見えで、 好むと好まぬとに関わらず (ここがポイント) 細く長く関わってしまったヘンな友人だった。
誰でも 消息不明で音信不通の友人というのを、 抱えて生きているんだろうな …。
自分自身なら、 こういうフェイドアウトの仕方も悪くない、 と思う。
でも、 人にやられるとね …、 わがままですかね。
もう少し、 ツテを探して、 それであきらめよう。
また会えたとしても、
「あーあ、 まったく。 それなんとかしなさいよ。」 とぼやいてしまうに決まってる、 そんな奴なんだけどね …。
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「そういえばしばらく会ってないなあ」 的な大島彰さんのわれわれの眼からの消え方を、 かっこいいと言う。
仕方ないじゃん、 と言う。
私は、 彼が元気なら絶対そろそろ顔を見せるはず、 という自信?があるのでもやもやと不安になっているわけだ。
それくらい、 お互いのプライベートまる見えで、 好むと好まぬとに関わらず (ここがポイント) 細く長く関わってしまったヘンな友人だった。
誰でも 消息不明で音信不通の友人というのを、 抱えて生きているんだろうな …。
自分自身なら、 こういうフェイドアウトの仕方も悪くない、 と思う。
でも、 人にやられるとね …、 わがままですかね。
もう少し、 ツテを探して、 それであきらめよう。
また会えたとしても、
「あーあ、 まったく。 それなんとかしなさいよ。」 とぼやいてしまうに決まってる、 そんな奴なんだけどね …。
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大島彰さんという友人がいる。
昔札幌でジャズ喫茶をしていたときに客として来てくれたのが始まりで、 年に一、二度ハガキをやりとりしたり、 たまに飲んだり、 というつき合いだった。
彼の出版した本のイラストを手伝ったり、 阿部薫のCDや本を一緒に作ったこともあった。
私がどこでどう暮らしていても、 フットワークの軽い彼は、 アポなしで突然 「よっ!」 と顔を見せるのが常だった。
そういえばここ数年会ってないなあと思い、 今年のお正月に年賀状を出したら、 宛先不明で舞い戻ってきた。
家に電話してみても通じない。
彼はケータイもパソコンもない。
そう気づいて、 初めてあせった。
そのうち向こうから突然やってくるだろう。
そう思っていて、 私は長い年月ずっと、 怠慢だったのだ。
共通の知り合いは? と考えてみる。
引き合わせてもらっただけで、 知り合いといえるかどうか。
初台にあった 「騒」 というお店の、 恵美子さん。 故人である。
昔 「季刊ジャズ批評」 の編集長をされていたOさん。
出版社 「文遊社」 の社長。
DIWレコードの企画の方。
それだけである。
全ての方が古い時期のことだし、 「あの、 ちょっとお伺いしますが …」 といきなり電話するのも気がひけてしまう。
このことで、 今年のお正月以来、 もやもやがずっと続いています。
人間いきなり病気になっても亡くなってもおかしくはないのだから。
友人が 「会わなくても元気に暮らしている」 のと 「もうこの世にいない」 のとでは、 話が違うのだ、 と思う。
この世というものの、 構成要素が違ってくる。
空気が違ってくる。 色が違ってくる。
いないのなら、 そういうものとして暮らそう。
(好きだったとか嫌いだったとかは関係ないのです。 彼には 「まったく。」 と腹が立つことのほうが多かったかもしれない。 ただ 「縁」 のままのつき合い方だった。)
お願いだから、 誰も黙っていなくならないでほしい …。
ツイッター奨められて、 やってもいいかなと思ったのは、 このような消息不明を増やしたくないと思ったからでした。
でもお互いに本名じゃないと探せないんだね。
しかも、 私の友人は非パソコン生活をしている人が多い。
しかも、 やっていたとしても 「今からいなくなりますから。」 とはツイート出来ないでしょうね。
しかも、 登録したあと行方不明だった私のツイッター画面、 一度見つかって六回くらいつぶやいたところで、 今二度目の行方不明だ …。
こちらも消息不明。
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昔札幌でジャズ喫茶をしていたときに客として来てくれたのが始まりで、 年に一、二度ハガキをやりとりしたり、 たまに飲んだり、 というつき合いだった。
彼の出版した本のイラストを手伝ったり、 阿部薫のCDや本を一緒に作ったこともあった。
私がどこでどう暮らしていても、 フットワークの軽い彼は、 アポなしで突然 「よっ!」 と顔を見せるのが常だった。
そういえばここ数年会ってないなあと思い、 今年のお正月に年賀状を出したら、 宛先不明で舞い戻ってきた。
家に電話してみても通じない。
彼はケータイもパソコンもない。
そう気づいて、 初めてあせった。
そのうち向こうから突然やってくるだろう。
そう思っていて、 私は長い年月ずっと、 怠慢だったのだ。
共通の知り合いは? と考えてみる。
引き合わせてもらっただけで、 知り合いといえるかどうか。
初台にあった 「騒」 というお店の、 恵美子さん。 故人である。
昔 「季刊ジャズ批評」 の編集長をされていたOさん。
出版社 「文遊社」 の社長。
DIWレコードの企画の方。
それだけである。
全ての方が古い時期のことだし、 「あの、 ちょっとお伺いしますが …」 といきなり電話するのも気がひけてしまう。
このことで、 今年のお正月以来、 もやもやがずっと続いています。
人間いきなり病気になっても亡くなってもおかしくはないのだから。
友人が 「会わなくても元気に暮らしている」 のと 「もうこの世にいない」 のとでは、 話が違うのだ、 と思う。
この世というものの、 構成要素が違ってくる。
空気が違ってくる。 色が違ってくる。
いないのなら、 そういうものとして暮らそう。
(好きだったとか嫌いだったとかは関係ないのです。 彼には 「まったく。」 と腹が立つことのほうが多かったかもしれない。 ただ 「縁」 のままのつき合い方だった。)
お願いだから、 誰も黙っていなくならないでほしい …。
ツイッター奨められて、 やってもいいかなと思ったのは、 このような消息不明を増やしたくないと思ったからでした。
でもお互いに本名じゃないと探せないんだね。
しかも、 私の友人は非パソコン生活をしている人が多い。
しかも、 やっていたとしても 「今からいなくなりますから。」 とはツイート出来ないでしょうね。
しかも、 登録したあと行方不明だった私のツイッター画面、 一度見つかって六回くらいつぶやいたところで、 今二度目の行方不明だ …。
こちらも消息不明。
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