露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
ジャズボーカルの定義というものが、 よくわからない。
(昔からわからない。)
バックがジャズ演奏である、 とか、
その演奏と即興でインタープレイしてること、 とか、
自己流のくずし方、 とか、
スィングしてる、 とか、
ブルーノートを多用、 とか、
アドリブでスキャット、 とか、
いろいろ考えたけど、
そういうことでもないような気もするし、
フライドプライドやマデリン・ペルーなどは、 ジャズボーカルとは思わないけど、 それはそれでいいと思うし、
某・日本の中年シンガーは、 一見ジャズボーカルだけど、 ちっともいいと思わないし、
「ムーディーに歌う美人ジャズシンガー」 という売り込みなのは、 それだけでただの下手くそなムード歌謡の気がするし、
いっそ、 サッチモ、 ビリー・ホリディ、 エラ、 サラ、 アニタ、 カーメン の歌をジャズボーカルと呼びます、 と規定したらどうか? (他にもいると思うけどひとまずね… 。)
定義はわからないけど、 感覚ではなんとなくわかる気がしていて、
JUJUの 「バードランドの子守唄」 は、 とりあえずジャズボーカルではない、 と、
それだけは思いました。
(じつはこれをラジオで聴いて、 ウーン、 と考えていたの。)
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
(昔からわからない。)
バックがジャズ演奏である、 とか、
その演奏と即興でインタープレイしてること、 とか、
自己流のくずし方、 とか、
スィングしてる、 とか、
ブルーノートを多用、 とか、
アドリブでスキャット、 とか、
いろいろ考えたけど、
そういうことでもないような気もするし、
フライドプライドやマデリン・ペルーなどは、 ジャズボーカルとは思わないけど、 それはそれでいいと思うし、
某・日本の中年シンガーは、 一見ジャズボーカルだけど、 ちっともいいと思わないし、
「ムーディーに歌う美人ジャズシンガー」 という売り込みなのは、 それだけでただの下手くそなムード歌謡の気がするし、
いっそ、 サッチモ、 ビリー・ホリディ、 エラ、 サラ、 アニタ、 カーメン の歌をジャズボーカルと呼びます、 と規定したらどうか? (他にもいると思うけどひとまずね… 。)
定義はわからないけど、 感覚ではなんとなくわかる気がしていて、
JUJUの 「バードランドの子守唄」 は、 とりあえずジャズボーカルではない、 と、
それだけは思いました。
(じつはこれをラジオで聴いて、 ウーン、 と考えていたの。)
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
PR
ひさしぶりに入荷しました。
金属代用の陶器製手榴弾。
底が平らなのは少なく、 白はさらに少ないように思います。 (経験だけど…。)
軍椀とか、 金属代用水筒とか、 この手の手榴弾とかは、 日常的にコンスタントに見つけるのは難しいけれど、 一度見つかったら大量に見つかったりするんだよね。
そうするとあちこちの市場で何回かに分けて売られ、 骨董市でさらにバラけながら、 同時に出回る、 ということもあります。
でも、 気をつけて見ていたのだけど、 そういうこともだんだん少なくなったし、 とくにこの手榴弾はなかなか見つけられなかったなあ。
定番で売りたいんだけど、 無理。
これは、 15年くらい前だったか、 形が気に入って買ったもので、 朝鮮の北方、会寧の焼き物。
当時は、 薬壺、 という説明を受けたのですが、 最近、 これも火薬入れだった、 と聞きました。
そういえば口作りが似ているし、 むだに厚手だと思っていたのも納得でした。
だったら、 私の好みはぶれてないんだなあ、 と思った。
どちらも野の花が似合います。
陶製手榴弾 sold out
火薬入壷 ¥18000
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
福島の農家出身の若い男性に、 何ができるの? 何をしたらいい? と、 (つい) 聞いてしまう。
彼はいろいろな話をしたあと、 最後に、 「忘れないで、 そう思ってくれてるだけでいいです。」 と言う。
いいえ。
ごめん、 そういう問題じゃなかったね。
聞き方が間違っているのは、 私だ。
支援できるできないの問題じゃなくて、 自分たち自身の根幹の問題だものね。
人に聞かないでてめえで考えろよ、 ってことだったね。
この日本に、50個以上の原発を作るのを容認してきたのは、 だれ?
罪のない顔して支援なんて、 おこがましい。
ちょうどバブルの絶頂期、作家の石牟礼道子さんは、
「一度滅びたほうがいいのです、 この国は。」
と、 言った。
原発施設、 というものは、 事故がおこる前までは、 ハイテクの最先端で、 宇宙船の内部とか、 NASAの機械室とか、 飛行機の操縦室とかを巨大にしたような、 そんな未来的な施設なんだろうな、 となんとなく思っていた。
それが、 思いのほか、 ふつうの工場っぽくて、
「原子炉建屋」 とか、 「たまり水」 とかの、 かわいらしいレトロっぽい単語を聞いて、 不安になったのは、 私だけでしょうか。
事故直後の対処も、 高分子ポリマー (紙おむつ) で漏水を防ぐ 、 とか 放水車、 とか
今も、 洗浄で除染、 とか 草刈り、 とか 枝はらい、 とか、
ローテクな言葉ばっかり飛び交っているね… 。
たわし、 熊手、 ほうき、 鍬。
表面を削った土は、 とりあえずまとめて 「ビニールシート」。
(ふだん骨董市でビニールシートを愛用している身としては、 え、 こんなの? と思ってしまった。)
または 「ポリ袋」 に入れて海中へ。 (すぐ劣化すると思うんだけど。)
で、 今度は、
コンクリートから染み出して海に流れ出ていた汚染水を、 止めるために、
「土のう」、 だって… 。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
彼はいろいろな話をしたあと、 最後に、 「忘れないで、 そう思ってくれてるだけでいいです。」 と言う。
いいえ。
ごめん、 そういう問題じゃなかったね。
聞き方が間違っているのは、 私だ。
支援できるできないの問題じゃなくて、 自分たち自身の根幹の問題だものね。
人に聞かないでてめえで考えろよ、 ってことだったね。
この日本に、50個以上の原発を作るのを容認してきたのは、 だれ?
罪のない顔して支援なんて、 おこがましい。
ちょうどバブルの絶頂期、作家の石牟礼道子さんは、
「一度滅びたほうがいいのです、 この国は。」
と、 言った。
原発施設、 というものは、 事故がおこる前までは、 ハイテクの最先端で、 宇宙船の内部とか、 NASAの機械室とか、 飛行機の操縦室とかを巨大にしたような、 そんな未来的な施設なんだろうな、 となんとなく思っていた。
それが、 思いのほか、 ふつうの工場っぽくて、
「原子炉建屋」 とか、 「たまり水」 とかの、 かわいらしいレトロっぽい単語を聞いて、 不安になったのは、 私だけでしょうか。
事故直後の対処も、 高分子ポリマー (紙おむつ) で漏水を防ぐ 、 とか 放水車、 とか
今も、 洗浄で除染、 とか 草刈り、 とか 枝はらい、 とか、
ローテクな言葉ばっかり飛び交っているね… 。
たわし、 熊手、 ほうき、 鍬。
表面を削った土は、 とりあえずまとめて 「ビニールシート」。
(ふだん骨董市でビニールシートを愛用している身としては、 え、 こんなの? と思ってしまった。)
または 「ポリ袋」 に入れて海中へ。 (すぐ劣化すると思うんだけど。)
で、 今度は、
コンクリートから染み出して海に流れ出ていた汚染水を、 止めるために、
「土のう」、 だって… 。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
考えてみたら、 いや、 考えるまでもなく、 こんなサイドエピソードなんかすべて、 ただ演奏さえ聴いていたら感知できることの域を越えていないので、 ファンには必要ないことばかりだ。
きっと私が楽になりたいだけなのですね。 だからこれでおしまい。
見たことを思い出してみます。
※ 本好きだった。
街を歩いていると、 通りすがりのどんな小さな本屋でも入りたがった。
ひとまわりしてすぐ出てくるのだけれど。
※ ライヴスタッフの金沢史郎さん(故人)が、
「系譜として、 チャーリー・パーカー→ ドルフィー→ 阿部薫、 と考えているんですよね、 僕は。」
と言う。
阿部さん、 否定も肯定もせず、 ニヤニヤ。
(間違ってないよ、 というニュアンスだったな…。)
※ 店の廊下でねっころがって読んでたのは、 山の本。
でも北海道の山は標高が低いので興味ない、 という。
※ 阿部さんの一人称は 「ぼく」、 二人称は 「きみ」 だった。
相手が男でも女でも、 子供でも。
話し方も態度も、 品の良さを感じさせた。
「川崎の不良少年」 どころか、 むしろ 「坊ちゃん育ち」 というおもむきがあった。
※ ライヴをやるところが 「バッチイ店」 だと感じたら、 黙って手抜き演奏するか、 はやばやと切り上げる。
阿部さんのいう 「バッチイ」 がどういう意味なのかよくわからないけど、 これはかなりこわい。
店から感じ取るアウェー的な雰囲気か?
逆にその空間が気に入ると、 ノーギャラでも超真剣に演奏する。
客がいてもいなくても、 「イスに向かって吹く。」 (本人弁。)
※ いつもホテルを借りてあげるお金がなかったので、 私のアパートをさしだした。 (せっかく一人にしてあげたのに、 店までついて来て所在なげにしているが。)
あるとき部屋へ戻ったら、 私の本棚から三冊の本が抜き出されてベッドの上にあった。
「三島由紀夫 VS 東大全共闘」
「村山塊多全集」
「クロンシュタットの叛乱」。
(阿部さんらしい、 と思った。)
村山塊多について、 「こいつ、 遺書ばっかり書いてんな。」
※ 亡くなる一週間の、 東京からの電話。
東京についたとたん、「やくざとケンカして怪我した。」
でもともあれ話せてるんだ、 と心配はしなかった。
ケンカは多かった。
売られたら、 とりあえず買う。 相手がだれであっても。
ボクシングの心得があるから、 けっこう強い。 (本人弁。)
※ 軽い吃りがあった。
でも、 楽器のことを話すときだけは、 不思議と吃らなかった。
これだけかなあ。 少ないな。
以下は、私の個人的な見方です。
「阿部の店での演奏記録は私のものだから、 墓場まで持っていく。」 とおっしゃったジャズ喫茶のママがおられましたが、 そういうのはいやだなあと、ずっと思ってました。
阿部さんが亡くなられたとき、 電話にでられた鈴木いづみさんに 「葬儀に行ってもいいですか?」 とお伺いしたら、 いづみさんはとても落ち着いたおだやかな声で、
「どうぞ。 阿部は、 みんなの阿部ですから。」
とおっしゃいました。
いづみさんは最後までよき理解者だったのだと私は思っています。
小説 「エンドレスワルツ」 も、 その映画化されたものも、 どこかの一組のカップルのお話であり、 阿部さんやいづみさんを感じさせるものは私にはなにもありませんでした。
阿部さんに似てるなあ、 と思った映画はほかにあって、
レオス・カラックス監督の三部作、 「ボーイ・ミーツ・ガール」、 「汚れた血」、 「ポンヌフの恋人」 の主人公アレックスです。
いつも眠そうな目をしている阿部さんが真剣な目をしたとき、 すわった目をしたとき、 アレックス (男優ドニ・ラヴァン) にそっくりでした。
小柄なところも似ています。
なによりもまとっている空気のようなものが似ていて、 過激に純粋、 というか、 破滅的に純粋、 というか、 ギリギリの崖っぷち感、 というか。
観るたびに、
阿部さんを思い出します。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
きっと私が楽になりたいだけなのですね。 だからこれでおしまい。
見たことを思い出してみます。
※ 本好きだった。
街を歩いていると、 通りすがりのどんな小さな本屋でも入りたがった。
ひとまわりしてすぐ出てくるのだけれど。
※ ライヴスタッフの金沢史郎さん(故人)が、
「系譜として、 チャーリー・パーカー→ ドルフィー→ 阿部薫、 と考えているんですよね、 僕は。」
と言う。
阿部さん、 否定も肯定もせず、 ニヤニヤ。
(間違ってないよ、 というニュアンスだったな…。)
※ 店の廊下でねっころがって読んでたのは、 山の本。
でも北海道の山は標高が低いので興味ない、 という。
※ 阿部さんの一人称は 「ぼく」、 二人称は 「きみ」 だった。
相手が男でも女でも、 子供でも。
話し方も態度も、 品の良さを感じさせた。
「川崎の不良少年」 どころか、 むしろ 「坊ちゃん育ち」 というおもむきがあった。
※ ライヴをやるところが 「バッチイ店」 だと感じたら、 黙って手抜き演奏するか、 はやばやと切り上げる。
阿部さんのいう 「バッチイ」 がどういう意味なのかよくわからないけど、 これはかなりこわい。
店から感じ取るアウェー的な雰囲気か?
逆にその空間が気に入ると、 ノーギャラでも超真剣に演奏する。
客がいてもいなくても、 「イスに向かって吹く。」 (本人弁。)
※ いつもホテルを借りてあげるお金がなかったので、 私のアパートをさしだした。 (せっかく一人にしてあげたのに、 店までついて来て所在なげにしているが。)
あるとき部屋へ戻ったら、 私の本棚から三冊の本が抜き出されてベッドの上にあった。
「三島由紀夫 VS 東大全共闘」
「村山塊多全集」
「クロンシュタットの叛乱」。
(阿部さんらしい、 と思った。)
村山塊多について、 「こいつ、 遺書ばっかり書いてんな。」
※ 亡くなる一週間の、 東京からの電話。
東京についたとたん、「やくざとケンカして怪我した。」
でもともあれ話せてるんだ、 と心配はしなかった。
ケンカは多かった。
売られたら、 とりあえず買う。 相手がだれであっても。
ボクシングの心得があるから、 けっこう強い。 (本人弁。)
※ 軽い吃りがあった。
でも、 楽器のことを話すときだけは、 不思議と吃らなかった。
これだけかなあ。 少ないな。
以下は、私の個人的な見方です。
「阿部の店での演奏記録は私のものだから、 墓場まで持っていく。」 とおっしゃったジャズ喫茶のママがおられましたが、 そういうのはいやだなあと、ずっと思ってました。
阿部さんが亡くなられたとき、 電話にでられた鈴木いづみさんに 「葬儀に行ってもいいですか?」 とお伺いしたら、 いづみさんはとても落ち着いたおだやかな声で、
「どうぞ。 阿部は、 みんなの阿部ですから。」
とおっしゃいました。
いづみさんは最後までよき理解者だったのだと私は思っています。
小説 「エンドレスワルツ」 も、 その映画化されたものも、 どこかの一組のカップルのお話であり、 阿部さんやいづみさんを感じさせるものは私にはなにもありませんでした。
阿部さんに似てるなあ、 と思った映画はほかにあって、
レオス・カラックス監督の三部作、 「ボーイ・ミーツ・ガール」、 「汚れた血」、 「ポンヌフの恋人」 の主人公アレックスです。
いつも眠そうな目をしている阿部さんが真剣な目をしたとき、 すわった目をしたとき、 アレックス (男優ドニ・ラヴァン) にそっくりでした。
小柄なところも似ています。
なによりもまとっている空気のようなものが似ていて、 過激に純粋、 というか、 破滅的に純粋、 というか、 ギリギリの崖っぷち感、 というか。
観るたびに、
阿部さんを思い出します。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡