露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
色味のない植物たち。
いつのまにか雑草だけを育てていたりする。
百合とかバラとかペチュニアとかパンジーとか、洋モノ系の鮮やかな花があると落ち着かないたちなのです。
直植えは、馬酔木、トネリコ、ミモザ、萩。
震災から二ヶ月。
テレビにはコマーシャルもバラエティーも戻り、電車も動き停電もなくなり、イベントも骨董市も普通に行われ、一見何気ない日常が戻ってきてるようだけど、
ほんとはウソだな。
私も、DVDみたり音楽聴いたりお酒飲んだりごはん作ったりしてるけど、心が二重生活してるみたいなんだな。
新聞もニュースも、話題が個々の被災者のがんばりを追いかけたり、復興プランを語ったり、東電役員の報酬カット、融資の返済猶予、等々、「先を見ている」 ような話題が多いのだけど、「先はあるのかな?」 という気になってしまうのは私だけかしら。
「一号機が核燃料メルトダウンをおこしていた」 が、新聞でこんなに小さめの見出しで、ニュースでもさりげない口調で、語られていいものなのかしら。
わからない。
わからないから、とりあえず食事の材料を買いにいくしかない。
※ 7日(土) 阿佐ヶ谷に出店すべく4時すぎに出発はしたが、小雨が降り続いていたので、迷ったすえに不参加の電話を入れて家にUターンした。
昼頃からカインズホームに行き、ほぼ半日を過ごす。
私はホームセンターに行くと、全売場の全棚を見なければ気がすまないので、ジョイフル本田は嫌いなのです。(行き倒れてしまいそうで。)
※ 8日(日) 大幅に寝坊して、あわてて布多天神に出発。
どうも二日続きの出店は、二日目のとこを大幅に遅刻する。
あせって運転しながら、昨日買った木村充輝の「ビリー・ホリディカバー集」をかけていたら、あらら、あせってる気持ちなんかどっかに行っちゃって、のんびりゆったり、大きな気持ちになってしまった。
なるほど 「天使のダミ声」 と言われるだけある。
でもねえ、この歌い方で全曲聴くと、なんだかはぐらかされてる感じが。
だまされている気分、というか…。
布多は好天気に恵まれ、とても気持ち良かった。
出店業者も多くなっていました。
業者さんやお客さんたちもそうですが、古いモノたちも 「なごやかな気分」 でいる感じで、なんだかどこの骨董市に置かれてる時よりもカッコ良く見える気がするのです。
緑のせいでしょうか。
売上はそこそこ。
(そこそこ、とか、ぽちぽち、とか、まあまあ、とか、便利ね。)
帰りがけに店によると、りょうがひまそうにお店番。
仕入れたイスを黙って運び込んだら、「カメさんですか?」 と見破られた。 くやしい。
※ 9日(月) ゆるりと店番。 クスリびん3コ¥100とかラベル¥200とか細かいものが売れる。(時間をかけてチョイスされるのがうれしい。)
ホーロー看板コレクターのオオタマサオ氏がご来店。
「レナード・コーエンって知ってる?」 とおっしゃる。
「クラシックの?」
「 それはレナード・バーンシュタイン。 違う違う。」
「映画だ。 コーエン兄弟! 」
「違う!」
…なんでも、カナダのシンガーだという。 最近知ってはまって、CD13枚買ったという。
今度持ってくるから、というと、お帰りになった。
「今度持ってくる」 予告編?
てんてんさんが立ち寄ってくれて、「ツィンピークス」 のサントラCDと文庫本「クーパーの日記」 「ローラの日記」 を貸してくれる。
実は私、WOWOWでやったテレビドラマ 「ツィンピークス」 の再放送を全部録画したので、それを毎日ちびちび見直していて、いま頭の中がツィンピークス漬けなのです。
という話を、布多でしたら、彼女もツィンピークス大好きだったのでした。
でも、こんな路地裏の小さな古道具屋で 「ツィンピークスのテーマ」 が流れるというのはいかがなものか。
フリージャズとどっこいかな。
そんなこんなの毎日でした。
昼頃からカインズホームに行き、ほぼ半日を過ごす。
私はホームセンターに行くと、全売場の全棚を見なければ気がすまないので、ジョイフル本田は嫌いなのです。(行き倒れてしまいそうで。)
※ 8日(日) 大幅に寝坊して、あわてて布多天神に出発。
どうも二日続きの出店は、二日目のとこを大幅に遅刻する。
あせって運転しながら、昨日買った木村充輝の「ビリー・ホリディカバー集」をかけていたら、あらら、あせってる気持ちなんかどっかに行っちゃって、のんびりゆったり、大きな気持ちになってしまった。
なるほど 「天使のダミ声」 と言われるだけある。
でもねえ、この歌い方で全曲聴くと、なんだかはぐらかされてる感じが。
だまされている気分、というか…。
布多は好天気に恵まれ、とても気持ち良かった。
出店業者も多くなっていました。
業者さんやお客さんたちもそうですが、古いモノたちも 「なごやかな気分」 でいる感じで、なんだかどこの骨董市に置かれてる時よりもカッコ良く見える気がするのです。
緑のせいでしょうか。
売上はそこそこ。
(そこそこ、とか、ぽちぽち、とか、まあまあ、とか、便利ね。)
帰りがけに店によると、りょうがひまそうにお店番。
仕入れたイスを黙って運び込んだら、「カメさんですか?」 と見破られた。 くやしい。
※ 9日(月) ゆるりと店番。 クスリびん3コ¥100とかラベル¥200とか細かいものが売れる。(時間をかけてチョイスされるのがうれしい。)
ホーロー看板コレクターのオオタマサオ氏がご来店。
「レナード・コーエンって知ってる?」 とおっしゃる。
「クラシックの?」
「 それはレナード・バーンシュタイン。 違う違う。」
「映画だ。 コーエン兄弟! 」
「違う!」
…なんでも、カナダのシンガーだという。 最近知ってはまって、CD13枚買ったという。
今度持ってくるから、というと、お帰りになった。
「今度持ってくる」 予告編?
てんてんさんが立ち寄ってくれて、「ツィンピークス」 のサントラCDと文庫本「クーパーの日記」 「ローラの日記」 を貸してくれる。
実は私、WOWOWでやったテレビドラマ 「ツィンピークス」 の再放送を全部録画したので、それを毎日ちびちび見直していて、いま頭の中がツィンピークス漬けなのです。
という話を、布多でしたら、彼女もツィンピークス大好きだったのでした。
でも、こんな路地裏の小さな古道具屋で 「ツィンピークスのテーマ」 が流れるというのはいかがなものか。
フリージャズとどっこいかな。
そんなこんなの毎日でした。
アイラーの、まずは、の三枚。
「マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー」 「スピリチュアル・ユニティー」 「ラスト・レコーディング」。
「 One day, everything will be as it should be. 」
この言葉、どう訳しますか?
これは、アルバート・アイラーというテナーサックス奏者が全く無名の若者だったときに、コペンハーゲンで録音したレコード、「マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー」 のなかの、自己紹介の結びの言葉です。
ライナーノーツの訳では、
「いつか、世の中のひずみもなくなるでしょう。」
27才のアイラーは、気負いのないさわやかな声で、静かにそう言いました。
(63年。 まだ黒人差別が激しかった時代のこと。)
ジャズ界に突然登場して、最初から自分の音色と奏法を持っていたアイラーは、生れついての、天然の、「前衛小僧」 だったんだと思います。
このレコードは編成はオーソドックスなカルテットだけど、そして曲もスタンダードのだけど、アイラーは全く自由奔放なプレイ。
「こういうふうにしかやれないんだよ」 というのが滲み出ています。
70年、フランスのマグー美術館でのコンサートを収めた 「ラストレコーディングVol1、Vol2」。
アイラーの自作曲たちは、まるでトラッド・ジャズのようです。
アイラーの音はコールマン・ホーキンスを思い出させる。
大ウケの聴衆の前で、彼はアクセル全開。
咆哮のようなすすり泣きのような、ブルース、ゴスペルのような童謡のような、そしてトラッドのような前衛のような。
アイラーは、そのぜんぶ。
ナイーブな子供のように、音が自然に身体から湧き出てくる。
このコンサートの四ヶ月後の11月25日、アイラーはニューヨーク、イーストリバーで射殺死体となって発見された。 34才。
(三島由紀夫と同じ命日です。)
この天然宝石のようなミュージシャンの死体は、「よくある身元不明の黒人死体」 としてモルグに安置された。
当時のスィングジャーナルの、訃報を伝える記事の切り抜きを、私はいまだに持っている。
(その二年後、自分が「アイラー」 という屋号のジャズ喫茶をやるとは、まったく思ってもいなかった。
フリージャズ志向だった前経営者がつけたのを、そのまま使ったのだけど、「シェップ」 だったら使わなかっただろうな…。たぶん。)
のちに、中上健次の 「破壊せよ、とアイラーはいった」 というタイトルの本がでたとき、「??」 と思った。
そんなこと、絶対にいってない。 思ってもいなかったでしょう。
アイラーの死に方を思うとき、いつも冒頭のフレーズがセットになって心に浮かんできてしまいます。
Is everything as it should be, now ?