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アイラーの、まずは、の三枚。
「マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー」 「スピリチュアル・ユニティー」 「ラスト・レコーディング」。
「 One day, everything will be as it should be. 」
この言葉、どう訳しますか?
これは、アルバート・アイラーというテナーサックス奏者が全く無名の若者だったときに、コペンハーゲンで録音したレコード、「マイ・ネーム・イズ・アルバート・アイラー」 のなかの、自己紹介の結びの言葉です。
ライナーノーツの訳では、
「いつか、世の中のひずみもなくなるでしょう。」
27才のアイラーは、気負いのないさわやかな声で、静かにそう言いました。
(63年。 まだ黒人差別が激しかった時代のこと。)
ジャズ界に突然登場して、最初から自分の音色と奏法を持っていたアイラーは、生れついての、天然の、「前衛小僧」 だったんだと思います。
このレコードは編成はオーソドックスなカルテットだけど、そして曲もスタンダードのだけど、アイラーは全く自由奔放なプレイ。
「こういうふうにしかやれないんだよ」 というのが滲み出ています。
70年、フランスのマグー美術館でのコンサートを収めた 「ラストレコーディングVol1、Vol2」。
アイラーの自作曲たちは、まるでトラッド・ジャズのようです。
アイラーの音はコールマン・ホーキンスを思い出させる。
大ウケの聴衆の前で、彼はアクセル全開。
咆哮のようなすすり泣きのような、ブルース、ゴスペルのような童謡のような、そしてトラッドのような前衛のような。
アイラーは、そのぜんぶ。
ナイーブな子供のように、音が自然に身体から湧き出てくる。
このコンサートの四ヶ月後の11月25日、アイラーはニューヨーク、イーストリバーで射殺死体となって発見された。 34才。
(三島由紀夫と同じ命日です。)
この天然宝石のようなミュージシャンの死体は、「よくある身元不明の黒人死体」 としてモルグに安置された。
当時のスィングジャーナルの、訃報を伝える記事の切り抜きを、私はいまだに持っている。
(その二年後、自分が「アイラー」 という屋号のジャズ喫茶をやるとは、まったく思ってもいなかった。
フリージャズ志向だった前経営者がつけたのを、そのまま使ったのだけど、「シェップ」 だったら使わなかっただろうな…。たぶん。)
のちに、中上健次の 「破壊せよ、とアイラーはいった」 というタイトルの本がでたとき、「??」 と思った。
そんなこと、絶対にいってない。 思ってもいなかったでしょう。
アイラーの死に方を思うとき、いつも冒頭のフレーズがセットになって心に浮かんできてしまいます。
Is everything as it should be, now ?
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