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2011年04月23日 (Sat)
  20キロ圏内の牛  ニコニコ通信の 理屈っぽい
                                BY 長嶋
理屈じゃないよ感情だよ!もあるが理屈じゃないと感情が解ってもらえないこともある。
例えば10センチでも水没死してしまう場合、100メートルも10センチも死んでしまうならおんなじだ。 なら、10センチだからって助けないわけにいかない。 死に関しては理屈が難しくなる。 100人中1人しか助けられない場合、 「平等に」 全員死んでもらおう、とはならない。 火事の延焼を防ぐために隣接する家屋を犠牲にして取り壊す、ということがあった。 口蹄疫が流行ったとき近くの牛を薬殺した。 一刻を争う時の判断の是非を問うのは難しい。
さて、原発20キロ圏内が立ち入り禁止となった。 牛の餌やりに通っていた酪農家も泣く泣く諦めたと言う。 しかしまだ牛は生きていて国が金と労力をかければ生命は助かる可能性がある、その時間的ゆとりがまだまだ充分ある。 どうせもう数兆円税金使うわけだし。 賠償する、と言うのは酪農家に対する「資産として」牛の価格だ。 もはや肉にも乳牛にも使えないただの牛(本来の牛)をどこかの草地に放し飼いにして彼らの一生を過ごさせるゆとりがこの国にはないのだろうか? ただ可哀想な実態だと、まるでそれが人間が使用してきた瓦礫のごとくに映像に伝えるばかりのメディア。 生き物として保護しょう!と訴えるマスメディアは存在しないのか? 10頭の命でも救うより全員飢え死にさせることがまっとうなのか? 相当厳格な基準で人々の健康を守り、一方牛はゆっくり死んでもらう、何か理屈に合わなくないか? 救うことが間に合う生命を、なぜ悲しむことでスルーするのか? ここでは理屈が間違った感情に転化していないか?
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