露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
昨日の山崎幹夫さんのブログ名、「山崎幹夫の情報センサー」と書いたのは、正しくは「山崎幹夫の各種センサー」でした。
ごめんなさい。
浅川マキさんが亡くなった。
清志郎の場合は、まだ早い、と思ったけど、マキさんは、よく今まで生きたなあ、と思う。
自分のことを、よく今まで生きてしまったよな、と思うのと同じように。
上京したばかりの学生時代、私は四畳半のアパートに、小さなポータブルプレイヤーと、たった一枚のレコードを持っていた。
「浅川マキの世界」。
彼女の声は暗く、私も暗く、部屋も暗く寒かったけど、寺山修司の演出が、それらをメルヘンに仕立てあげてくれていたので、やっていけた。
彼女の世界では、娼婦も殺す男もロマンになる。
私はちょうど、暗さやデカダンスや偽悪性は、「誠実さの方法」と思っていたお年頃。
限りなく自分の中に降りて降りまくって、それを支えにやっと毎日世の中に打って出ることが出来た。
この心情は、あまり一般的じゃないと思う。
今あの頃に戻りたいかと言われれば、まっぴらです!と答える。
でも太宰治も書いている。「人は、暗いうちは滅びない。
明るいのが滅びの姿だ。」と。
(私はこの言葉でいつも、みんなハイだったバブル期の人の暮らしぶりを思い出してしまう。)
生きながら滅んでいる」ということも、あるのだ。
彼女も、つねに先のない人だった。
だから、よく生きたなあ、と思う。
「たいへん、お疲れさまでした。」としか言えないな…。
ごめんなさい。
浅川マキさんが亡くなった。
清志郎の場合は、まだ早い、と思ったけど、マキさんは、よく今まで生きたなあ、と思う。
自分のことを、よく今まで生きてしまったよな、と思うのと同じように。
上京したばかりの学生時代、私は四畳半のアパートに、小さなポータブルプレイヤーと、たった一枚のレコードを持っていた。
「浅川マキの世界」。
彼女の声は暗く、私も暗く、部屋も暗く寒かったけど、寺山修司の演出が、それらをメルヘンに仕立てあげてくれていたので、やっていけた。
彼女の世界では、娼婦も殺す男もロマンになる。
私はちょうど、暗さやデカダンスや偽悪性は、「誠実さの方法」と思っていたお年頃。
限りなく自分の中に降りて降りまくって、それを支えにやっと毎日世の中に打って出ることが出来た。
この心情は、あまり一般的じゃないと思う。
今あの頃に戻りたいかと言われれば、まっぴらです!と答える。
でも太宰治も書いている。「人は、暗いうちは滅びない。
明るいのが滅びの姿だ。」と。
(私はこの言葉でいつも、みんなハイだったバブル期の人の暮らしぶりを思い出してしまう。)
生きながら滅んでいる」ということも、あるのだ。
彼女も、つねに先のない人だった。
だから、よく生きたなあ、と思う。
「たいへん、お疲れさまでした。」としか言えないな…。
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下北沢ラ・カメラで、21日から24日まで、映像作家山田勇男さんと山崎幹夫さんの上映会があります。
上映期間短いけど、なんとか一日くらい、もぐりこんで観たいなと思う。
山崎幹夫さんは、その筋では超有名な方。
ブログ「山崎幹夫の情報センサー」(ここでアドレスを貼付けるとこだけど、私のブログは管理人任せなのでやり方がわからない)の存在を去年ある人に教えていただき、愛読しております。
街角の、グッとくる風景コレクションです。
(彼は昔缶コーヒーをコレクションされてて、本まで出されていました。コレクター体質なのかな。)
山田勇男さんが「感性の人」なら、山崎さんの映像は「プラス理性の人」。ユーモア、サービス精神、心にイタい部分、とんがってる部分、すべてバランスが良くて、とてもバランス感覚に優れてる方、と思っています。
バランス感覚、というのは、「普遍性」を獲得するのにとても大事なことだと思う。
もうⅠ5年以上前になるかな、彼や湊谷雪子さんや友人たちと「みみずく月報」なる小雑誌を毎月発行していた。3年くらい続いたかなあ。
友人との手紙のやりとりって、最近観た映画、読んだ本、聴いた音楽、などの感想が多いので、ならそれを集めたらいい情報誌になるんじゃないかと思って始めたのでした。
原稿をコピーして、書いた人だけに発送していたのですが、そのコピー、製本、発送作業に疲れて消滅。
(ブログを始めてから、ああ、昔なら「みみずく月報」だなあ、とときどき思います。)
山崎さんは、そこでも全包囲にわたる鋭い文章を書かれていたのでした。
長年コツコツと映像を撮り続けてきた山田さん、山崎さんを、(恥ずかしいから本人には言わないけど…)実はしんから尊敬します。
場を与え続けてきたラ・カメラも、同じように尊敬!です。
へたな写真だー。 ちょっと珍しいんじゃないかなと思うものを写してみましたが、コレクターの方にはありふれているかも? 左から、ビン博士庄司先生鑑定によると、明治38年~40年にのみ生産された牛乳ビン、グラヴィエール加工で笹柄とつるをか市三井牛舎の文字入りコップ、岡山「禁酒サイダー」のラベル付きビン、 Soundai ODAWARA オレンジジャムと書かれているアンカーコップ、東芝のロゴ入りコップ。
保証牛乳の工場柄のコップもあったのですが、それは「工場萌え」の方が買っていかれました。
お正月、BSの昭和博物館?とかいう番組を夫とボーっと見ていた。
レトログッズコレクターが次々と登場し、コレクションを紹介していた。
ソノシートとか、デパートの乗り物(コインを入れたら揺れるやつです)とか、ペナントとか。
私「コレクターって、みんな男なんだよねー。」
と言ったとたんに、画面に宇山あゆみさんが!
夫「女じゃん。」
私「あゆみさんは人形作家だからしかたないの。」(何の言い訳だ。)
店にお見えになるコレクターの方も、色々なことを教えていただく、とてもありがたい存在です。
コレクターとは、ほんとにディープな世界。
牛乳コップ。 ヨーグルトびん。 戦中統制品。 戦中金属代用品。 引き札。 縫い糸の台紙。 トランク(これは場所をとるね。)。 ウランガラス。 キューピー。 栓抜き。 バチモンキャラクター。 エボナイト、ベークライト、ルーライトなどの素材もの。 ちょっとバカな実用新案もの。
もう、あらゆるものにコレクターあり、と考えたほうが早い。
コレクターはやっぱり、ほとんど男である。
私自身は、コレクター魂というものがまるでなく、気がつけば何だかわからないものが集まってるけど、所有していたいというわけでもなし。 根性もなし。
気が多いのでジャンルを絞りこめない。
それは言い換えれば、「何の専門家にもなれない。」 ということで。
コレクターの方々と、古い生活雑貨を求めるお客様の両方に満足していただくというのは、とても難しいことです。(コレクター向きの品は、店じゃなくて骨董市向き、ネット向きなんだと思う。)
でもほら、気が多いもんで、両方のお客様に秋波(この言葉変換できなかった。死語?)を送ってたりして。
数を集めないと見えてこないことって、たしかにあると思います。
その見えたことのお話を伺うのは、とても興味ぶかいです。(いいとこどり?)
バイトしていたジャズ喫茶「ありんこ」 は、硬派なジャズばかりでなく、当時新譜で出回り始めたCTIレーベルもかけていて、どれもかなりの人気盤だった。
いわゆるコマーシャル路線です。
そのレーベルが最近リマスターされて店頭に出ていたので、なつかしさのあまり買ってみました。
(自分の店では硬派の常連客さんがこわくて、かけませんでした。自分でも「 所詮イージーリスニングだし。」 という偏見があったかも。)
確かにプロデューサー、クリード・テイラーのねらいは、コマーシャリズムだったんだと思う。「幅広い層に受け入れられるジャズを」とはそういうことです。
で、今聴いてみると、おお、立派な王道ジャズじゃないの!
若いF・ハバードは、音は生き生きしていても力あまってたれ流し、構成だいなし、的な演奏が多くかったのですが、この中では音の生きのよさに加えて、程よく抑制がきいている。
サイドメンのジョー・ヘンダーソン(ts)、ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、レニー・ホワイト(ds)、皆ともにでしゃばらず、過不足ない演奏。
この「抑制がきいてる」というところが、「パワフルで スポンティニアスなのがジャズだ!」とそれこそ力あまってたジャズファンに、蔑視される原因だったのでしょう。
今聴くと十分に「スポンティニアス」に聴こえるけどな。
これがイージーリスニングというなら、その後のフュージョンのほとんど、またアコースティックってだけでスカスカでも王道ジャズとして通用している新録のジャズなどは、何なんだ、と思ってしまう。
ライナーノーツで村井康司さんが、「ドイツのECMレーベルがCTIを高踏化したようなコンセプトでのレコード制作を開始した」と書かれていて、ほんとにそうだと思いました。 本質は同じような気がしてました。
ともあれこのCD。くたびれたジャズファンも、ジャズなんか興味ない若者も楽しめるんじゃないかなあ。
チビお父さんの機嫌を取ってるの図。
ホワイト家のCMを見ながら、急に、思い出した。
私のお父さんも、犬だったことを。
私は北海道帯広の、母の実家で10歳まで育った。
母はシングルマザーだったので、祖父と犬チビが、父親的存在だったのでした。
祖父は、いろいろな動物を飼うのが好きな、ミニムツゴローみたいな人だったので、庭に( といっても庭と畑の境がわからない)、やぎ、ひつじ、うさぎ、豚、あひる、にわとり、鷹、いたち、ミンク、犬三匹などがだいたい放し飼いになっていた。
祖父がすごく動物好きだったかというとそういうことでもなさそうで、にわとりがある日突然鶏鍋に変身したりしてた。(私はにわとりの首がひねられるところから鍋になるまで、じっとそばで見ていた。)
いたち(テン?)やミンクは利殖目的、だろうな。
幼児の私も、動物たちにまじって毎日放し飼い。
で、私のお守り兼見張り役が、このみすぼらしい雑種犬、チビだったのでした。
私が敷地から道路に飛び出したりすると、激しく吠えて怒る。
その頃の私の天敵はにわとりで、私が走りまわってると後ろから追っかけてきて足をつつくのですが、キャーと泣き叫ぶ私に駆け付けてくれるのも、チビだったのでした。
チビはしっぼをさわると 「ウォン!」 と本気で怒る気難しい犬でした。
ちなみに祖父も口数少ない気難しい人でしたが、子供心にも 「理不尽な怒り方をしない人 」 と分かっていたので、私はこの二人?が大好きでした。
他の犬はバカ犬ばかり。
チビは、ヨボヨボの老犬だったけど、ある日、敷地内に侵入してきた野良犬と、テリトリーを守るべく闘って、喉を噛み切られて死んだのでした。
だから私は今でも犬を見ると、好き、とか、かわいい、とか思う前に、「 頭が上がらない」 と思ってしまうのです。