露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
どこぞのお屋敷から出たというかっこいいワゴンが入荷。
サビサビなので、天気の穏やかな日を見計らって少しずつメンテを。
こういうのね、 メンテ具合が難しいのです。
ピカピカにしちゃうとつまんなくなって、 アンティーク風レプリカの新物 (アラモノ) みたいになっちゃうし、
全くしないと長持ちしないし。
というわけでこのへんで。
パイプ部分サビおとしとサビ止めしました。
キャスターというよりも車椅子用みたいな大きな車輪がついています。
ワンタッチ折りたたみ式。
サイズ パイプからパイプまで 70㎝ × 45㎝ 天板までの高さ 66㎝
¥8500
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「それぞれができる範囲のことをやればいい。 木を残すことと近所を掃くこととは、 価値としては同じではないかと思うのです。」(宮崎駿)
これは内田樹さんの 「贈与のサイクル」、 坂口恭平さんの 「新政府貨幣」 と同じこと言ってるかなと思う。
ギブ&テイクを50:50じゃなく51:49にしたら、
全部の人じゃなくても半分の人でもそうしたら、
それはもう経済になり、 世の中すごく生きやすくなるのでは、 と想像したりする。
こんなことを考えだしたのは原発事故後のことだった。
「原発0にすると経済が悪化するぞ論」 に対して、
意識を持って 「互助社会」 になるしかないのでは? と思ったのだった。
例え全カバーできなくても、 少しでもみなが生きやすくなればそれでいいのである。
経済向上も本来それが目的だったはずなんだから。
…なんかすごく単純化してる気がするけどね。
私が貰った、 一番おしゃれなギブの話。
昔、 夫の赴任先に引っ越したとき。
早朝、 初対面の夫の同僚が二人、 空港に車で迎えに来て入居先のアパートまで連れていってくれた。
初めて足を踏み入れる部屋。
がらんとした部屋のダイニングテーブルの上に、 小さなマーガレットの鉢植えだけがぽつんと置かれていた。
おもいがけない無言の 「ようこそ」。
そこだけスポットライトがあたってるようだった。
二人が帰ったあと、 若いほうの一人がすぐ車で戻ってきた。
何も食べるものないだろうからと、 テイクアウトのハンバーガーとドリンクを渡してまたすぐ去っていった。
(思いついたこの行為をもう一人の同僚の前ではしたくなかったのだろうね。)
心細さがすっかり消えた。
かっこいい、 と思った。
彼らは社命で送迎しに来ただけだけど、 少しの余分をくれたの。
貰った 「ギブ」 というものは、 何年でも反芻してるとどんどん利子がつくんだよ。
利子ごとだれかにリターンされる。
このときのことが基準となって、
「同じくらいさりげなくてかっこいいことか?」
と探ったりする。
無意識に1のギブをできる人もいっぱいいるけど、 もっと増えていかないと経済にはならないんだな。
これが制度になったらだめなんで、
制度になったら逃げ水のように逃げるもんなんで、
「暮らしやすさ」 なんて自然に醸し出されるものなんである。
同調圧力になってどうする。
こんなことは、 原発0のための対案にはならない? まあ、 ならないかな …。
でも 多少の不便はいいかという気分になるだけでもいいのでは。
「自分は人に分け与えるものなど何も持ってない、 という人は、 贈与のサイクルから外れるのである。」(内田樹)
外れたくないのです。
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これは内田樹さんの 「贈与のサイクル」、 坂口恭平さんの 「新政府貨幣」 と同じこと言ってるかなと思う。
ギブ&テイクを50:50じゃなく51:49にしたら、
全部の人じゃなくても半分の人でもそうしたら、
それはもう経済になり、 世の中すごく生きやすくなるのでは、 と想像したりする。
こんなことを考えだしたのは原発事故後のことだった。
「原発0にすると経済が悪化するぞ論」 に対して、
意識を持って 「互助社会」 になるしかないのでは? と思ったのだった。
例え全カバーできなくても、 少しでもみなが生きやすくなればそれでいいのである。
経済向上も本来それが目的だったはずなんだから。
…なんかすごく単純化してる気がするけどね。
私が貰った、 一番おしゃれなギブの話。
昔、 夫の赴任先に引っ越したとき。
早朝、 初対面の夫の同僚が二人、 空港に車で迎えに来て入居先のアパートまで連れていってくれた。
初めて足を踏み入れる部屋。
がらんとした部屋のダイニングテーブルの上に、 小さなマーガレットの鉢植えだけがぽつんと置かれていた。
おもいがけない無言の 「ようこそ」。
そこだけスポットライトがあたってるようだった。
二人が帰ったあと、 若いほうの一人がすぐ車で戻ってきた。
何も食べるものないだろうからと、 テイクアウトのハンバーガーとドリンクを渡してまたすぐ去っていった。
(思いついたこの行為をもう一人の同僚の前ではしたくなかったのだろうね。)
心細さがすっかり消えた。
かっこいい、 と思った。
彼らは社命で送迎しに来ただけだけど、 少しの余分をくれたの。
貰った 「ギブ」 というものは、 何年でも反芻してるとどんどん利子がつくんだよ。
利子ごとだれかにリターンされる。
このときのことが基準となって、
「同じくらいさりげなくてかっこいいことか?」
と探ったりする。
無意識に1のギブをできる人もいっぱいいるけど、 もっと増えていかないと経済にはならないんだな。
これが制度になったらだめなんで、
制度になったら逃げ水のように逃げるもんなんで、
「暮らしやすさ」 なんて自然に醸し出されるものなんである。
同調圧力になってどうする。
こんなことは、 原発0のための対案にはならない? まあ、 ならないかな …。
でも 多少の不便はいいかという気分になるだけでもいいのでは。
「自分は人に分け与えるものなど何も持ってない、 という人は、 贈与のサイクルから外れるのである。」(内田樹)
外れたくないのです。
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昨日の布多天神骨董市での午後。
「あれなんだ?」 の誰かの声に北の空を見上げると、黄色い空がやってきた。
黄砂だ黄砂だよあれが黄砂かわーこっちに来る! の声が飛び交う。
あとで聞いたら 「煙霧」というものだったらしい。
どっちにしろ嬉しくない。
荷がぜんぶ砂でジャリジャリになり全員早退気味に撤収。
※
二年前の震災直後の、 とても気が重かったここでの骨董市を思い出す。
石巻の友人と連絡がつかなかった。
スーパーの棚からパンやインスタントラーメンが消えはじめていた。
緊急の一大事にこんな必需品じゃないモノを売ってる場合か。
非常時に骨董?
いやいつの困難な時代でもこの商いは続いてきたんだから …。
いろいろな思いが交差して、 ほとんど折れかかっていた。
被災地の方々とは比べものにならないけど、 あの日みな何らかの傷を負ったのだと思う。
※
被災地の方々の、 個々の事情やがんばりや苦難のなかでのちょっといい話を、 感傷の紗をかけて報道するメディアに違和感がある。
そういう話もいいとは思うけど。 知っといた方がいいと思うけど。
思うけど、
もっと掘り下げて言わなければならないおおもとのことがあるんじゃないのと思う。
新聞TVなら。
何を反省すべきなのか、
今後の長いスパンでの展望はどうあるべきなのか。
※
まるで原発事故などなかったことになっている施政と経済政策。
原発事故以前の既視感でいっぱいで、
過去の国から来たゾンビをみるみたいな。
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