露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
プロからアマチュアまで、 空を写すカメラマンは多いと思うけど、 私はあまり面白いと思って見た覚えがないのです。
でも、 アラーキーのだけは、 グッとくる。
撮影の技術よりも、 雲のモティーフなどよりも、
要は、
「何を思って空を見ているか」
につきるのだと思う。
空 ON 空。
(他の展示で観た、 ポラロイドの空に原色アクリルで殴り書きしたシリーズも、 そうとうすごいのです。)
荒木さんのほかは、 黒いY字路をワンルーム分出品されてた横尾忠則さんがよかった。
最初に黒で下塗りして、 その上にぼんやりとY字路と手前に静物が描かれている。
よりやわらかく、 自由になっている。
自分の写真を模写して、 固いタッチで描き始められたY字路シリーズが、 このままでいられるわけはない、 となぜか思っていたところがあるので、 すごく納得してしまいました。
個展で観たいです。
ほかは、 印象うすかったかな。
ずーっといろいろな方の作品を (ネームプレートを見ずに) 観ていって、 おお、これは、 と思ったのが、 マックス・エルンストだったり。
(たまに混ざっているのです、 マグリットとかポール・デルヴォーとか。)
私はビッグネームも新進若手もフラットに観るほうだと思ってるのですが、 そうだったのだから、しかたがないなあ。
ぜんたい、 GEISAIみたいだなと思いました。
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(ああ、ケータイで英字を打つのはめんどくさい。)
ときどき業者さんや骨董市のお客様から、 「ブログを読んでますよ。」 とお声をかけられる。
「すごいですね。」
「なにがですか?」
「ジャズに詳しくて。」
そこかい! と思う。
ロックやクラシックやJポップとかに詳しい人だってたくさんいるでしょ。
私はたまたま職歴柄、 ジャズだっただけで、 それでももっといい耳と知識を持ってる方は山ほどおられます。
自分は自分の耳しか持ってないので、 これで居直るしかないのです。
まあ、 紹介しているモノがすごいですね、 と言われるほどのモノもたいしてないしな、 と思い、
そういわれるようにがんばろうと一瞬思いましたが、
自分のセレクションじゃ、 たぶんこれからも無理…。
市場でときどきレコードの山が出るのですが、 今まで買ったことはありませんでした。
でも今回はオールジャズだったので、 思わず買っちゃった。
買ったあとゆっくり見ると、 リターン・トゥ・フォーエバーのかもめとか、 チック・コリア・ピアノソロとか、 キースのケルンコンサートとかの有名盤に混じって、 ケニー・ドリューやデューク・ジョーダン、 デクスター・ゴードンなどの SteepleChase 盤の数々も。
この方、 ペデルセン(b) がお好きとお見受けしました。
骨董市で売ろうと思って買ったのですが、 中に一枚、 見たことがないのがあって、 一度聴いてみたいと思って確保してしまいました。
それが写真のやつ。
ジャケットに写ってるのは、 油井正一御大。
ご近所の 「プー横丁の店」 で (私はLPプレイヤーがないのです。 蓄音機はあるけど、 針が減ったままなので。) かけていただきました。
ブルーノートの名盤セレクションですが、 一曲一曲が短くて、 そこに油井氏の解説がかぶさっている。
泣く子も黙るブルーノート1500番台後半と4000番台です。
ロリンズから始まって、 ドン・チェリーで終わっている。
忘れていた懐かしいのが次々に出てきて、 マスターと部分的に盛り上がる。
ああ、 これよかったんだよな、 と思いながら聴いたのが、 ピート・ラ・ロカの 「バスラ」 でした。
ブルーノートは、 私の上の世代にはスィンギーなハードバップジャズで人気を博し、 私の世代でもまた新しいスタイルで人気を博す、 という、 幅のひろーいレーベルだったのですね。
このレコードは非売品だったもので、 おまけにつけたものか懸賞品だったのか、 さっぱりわかりません。
こういうものは、 ブルーノートコレクターの手に渡ってほしいものだと思って、 ほかのレコードとは別にしました。
ちなみに、 VOL.1はありませんでした。
もひとつちなみに、 オリジナルジャケットの 「クール・ストラッティン」 の女性の脚より、膝が曲がっているのが、ちょっと不満です。
解説付き。 ¥1000
業者市場で何気なく (好きなアイテムなのでいつも買おうとするんだけど) 競り落としたこのブルーの琺瑯鍋。
よく見たら、 シールがちょっとすごかった。
1937年の日独尹防共協定を祝した (?) もので、
その名も、「協定鍋」。
なでしこジャパンを祝したような、 野田内閣のどじょう菓子のような、 軽いノリなんでしょうかね…。
なんにしても、 国民的ポピュラリティがないと作られないわけで。
ちょっと簡単におさらいしてみると、
39年、 第二次世界大戦勃発。
ドイツがまたたく間にポーランド、 オランダ、 ベルギー、 フランスを陥落。
(ドイツの強さを思い知ったので) 40年、 この協定は、 日独尹三国軍事同盟となり、
日米開戦へと、 歴史はつづくのでした。
昔、 店に戦争直前から戦後すぐまでのもの限定のコレクターの方がおられまして、
統制陶器などをお買い上げいただいたのですが、 この方、 それより古くても新しくてもダメで、 大正時代の教科書などをご用意しても、 「古すぎる。」 と言われました。
そのころは、 なぜ時代限定なのかわからなかったのですが、 だんだんわかってきたのでした。
私は、モノは実用品としてしか考えていなかったけど、 この方にとっては、 まず歴史の重要参考資料だったのですね。
モノは雄弁です。
そのころのモノを集めてみると、 当時のリアルな庶民感情がよくわかるのでした。
¥6000
台風なう。
今日は、店内作業の日と決める。
店が吹っ飛ばされたら、帰ります。
わー、ゆれてる。
カテゴリーの 「聴く観る読む」 のうち、 「読む」 がないなあ、と日ごろから思っていたのですが、
書くひまがないだけで、ほんとは重症の活字中毒。
特に、眠る前と電車の中は本がないと耐えられないのです。
八十年代、 大学生協の書籍部というところで六、七年くらい働いていたことがあるのですが、 これが困った職場で、 割引で買えるもんだから、本代が給料を上回ったこともありました。
その通勤電車用の本は、 一度キッチンの秤で重さを測るのです。
文庫新書ならいいのですが、 単行本の場合は、 700グラムが持ち歩きの限度です。
(幼児や保育園の道具もあるので。)
本を注文するときにグラム数もわかったらいいのにな、 といつも思っていました。
活字中毒者の巣窟、「本の雑誌」 でもそんな特集はしなかったな。
で思い返してみると、 出版された全作品を、出るたびに読んでいたのは、 佐野洋子さんだけでした。
文章がうまいなあ、 といつも感心していたのも、 佐野洋子さんでした。
谷川俊太郎氏と結婚する前に、 友人に、 「わたし、あのひとおとしてみせる。 手紙で。」 と言ったそうで、
それを読んだときは、 わー、すごい自信だな! と思ったのを覚えています。
(だってさ、…詩人だよ。)
「右の心臓」(お兄さんのこと)や 「シズコさん」(お母さんのこと) のように、 身内のこと、 個人的な体験のことを書いて普遍的な共感を呼ぶ、 というのは、 とてもバランス感覚の優れた人だったんでしょう。
痛切な体験に体まるごと感じ入りながら、 それを俯瞰で眺められる理性の眼、 といったらいいのか。
ガンの転移がわかったときから、 佐野さんに誘われて麻雀にいったりするちょーさんに、 「佐野さんどうだった? 元気だった?」 といつもきいていました。
お友達にいつも囲まれているようでした。
連載エッセイのタイトルが 「死ぬ気まんまん」 だなんて、
うそばっか! と思っていました。
実際、 佐野さんのエッセイには、 かなり虚実が入り混じり、誇張や脚色が多く、 かの 「シズコさん」 もそんなにひどい人ではなかったらしい。
でも、 これってうちの母親だ! と思った人がたぶん大勢いて、(私もそう) 共感が真実なら、 それでいいのだ。
あらためて 「死ぬ気まんまん」 を読み通すと、
鬱病のときに、 ホスピスであった人物の描写や、(これだってどこまで実在の人かわからないけど) 筆を置く前まで自分をみつめる眼が、 あいかわらず鋭くて、
こんなに冴えてるひとが、 死期が近いことを知ってる、 って、 どんなに残酷なことか、 って思う。
これだけ、 生きることやヒトが好きだったんだ。
「死ぬ気まんまん」 なんて、、
(粋で男前な!)うそばっか。
今日は、店内作業の日と決める。
店が吹っ飛ばされたら、帰ります。
わー、ゆれてる。
カテゴリーの 「聴く観る読む」 のうち、 「読む」 がないなあ、と日ごろから思っていたのですが、
書くひまがないだけで、ほんとは重症の活字中毒。
特に、眠る前と電車の中は本がないと耐えられないのです。
八十年代、 大学生協の書籍部というところで六、七年くらい働いていたことがあるのですが、 これが困った職場で、 割引で買えるもんだから、本代が給料を上回ったこともありました。
その通勤電車用の本は、 一度キッチンの秤で重さを測るのです。
文庫新書ならいいのですが、 単行本の場合は、 700グラムが持ち歩きの限度です。
(幼児や保育園の道具もあるので。)
本を注文するときにグラム数もわかったらいいのにな、 といつも思っていました。
活字中毒者の巣窟、「本の雑誌」 でもそんな特集はしなかったな。
で思い返してみると、 出版された全作品を、出るたびに読んでいたのは、 佐野洋子さんだけでした。
文章がうまいなあ、 といつも感心していたのも、 佐野洋子さんでした。
谷川俊太郎氏と結婚する前に、 友人に、 「わたし、あのひとおとしてみせる。 手紙で。」 と言ったそうで、
それを読んだときは、 わー、すごい自信だな! と思ったのを覚えています。
(だってさ、…詩人だよ。)
「右の心臓」(お兄さんのこと)や 「シズコさん」(お母さんのこと) のように、 身内のこと、 個人的な体験のことを書いて普遍的な共感を呼ぶ、 というのは、 とてもバランス感覚の優れた人だったんでしょう。
痛切な体験に体まるごと感じ入りながら、 それを俯瞰で眺められる理性の眼、 といったらいいのか。
ガンの転移がわかったときから、 佐野さんに誘われて麻雀にいったりするちょーさんに、 「佐野さんどうだった? 元気だった?」 といつもきいていました。
お友達にいつも囲まれているようでした。
連載エッセイのタイトルが 「死ぬ気まんまん」 だなんて、
うそばっか! と思っていました。
実際、 佐野さんのエッセイには、 かなり虚実が入り混じり、誇張や脚色が多く、 かの 「シズコさん」 もそんなにひどい人ではなかったらしい。
でも、 これってうちの母親だ! と思った人がたぶん大勢いて、(私もそう) 共感が真実なら、 それでいいのだ。
あらためて 「死ぬ気まんまん」 を読み通すと、
鬱病のときに、 ホスピスであった人物の描写や、(これだってどこまで実在の人かわからないけど) 筆を置く前まで自分をみつめる眼が、 あいかわらず鋭くて、
こんなに冴えてるひとが、 死期が近いことを知ってる、 って、 どんなに残酷なことか、 って思う。
これだけ、 生きることやヒトが好きだったんだ。
「死ぬ気まんまん」 なんて、、
(粋で男前な!)うそばっか。
うちの店は、昔のたばこ屋か銭湯の番台のような、大きな窓のようなカウンターがあり、
お客様はそこから品物を黙って手渡すか、 これください、 はいありがとうございます的な言葉をかわして、 お買い上げいただくわけですが。
あれは8月だったか。
六十代くらいの小柄な男性がご来店されて、 スタスタとまっすぐカウンターの前にいらして、
「ミロのヴィーナス、 ください。」
と言った。
はいはい、 こちらですね、
と、店内に25㎝くらいのミロビ石膏胸像を取りにいきながら、 私は笑いをこらえていた。
マックのカウンターで、 ハンバーガーください、 みたいだったの。
それに、 人生であまり言わない言葉、 ですよね。
「ミロのヴィーナスください。」
べつに古いものが好きとか、 コレクターとか、 そういう風情でもない、 ごく地味な方で。
ただ、まっすぐカウンターにいらしたってことは、 下見したんだろうなあ、 って気づいて、
(二千円くらいのものを。)
そう思ったらすごく
ありがたくて、
いい人に買われてよかった、
大事にされそう、
と思ったのでした。
それだけだけど。
お客様はそこから品物を黙って手渡すか、 これください、 はいありがとうございます的な言葉をかわして、 お買い上げいただくわけですが。
あれは8月だったか。
六十代くらいの小柄な男性がご来店されて、 スタスタとまっすぐカウンターの前にいらして、
「ミロのヴィーナス、 ください。」
と言った。
はいはい、 こちらですね、
と、店内に25㎝くらいのミロビ石膏胸像を取りにいきながら、 私は笑いをこらえていた。
マックのカウンターで、 ハンバーガーください、 みたいだったの。
それに、 人生であまり言わない言葉、 ですよね。
「ミロのヴィーナスください。」
べつに古いものが好きとか、 コレクターとか、 そういう風情でもない、 ごく地味な方で。
ただ、まっすぐカウンターにいらしたってことは、 下見したんだろうなあ、 って気づいて、
(二千円くらいのものを。)
そう思ったらすごく
ありがたくて、
いい人に買われてよかった、
大事にされそう、
と思ったのでした。
それだけだけど。