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とっておきの、マイルスです。
とっておきが何人いるんだよといわれそうですが、大事な人のことこそなかなか書けないもんで、今日は、意を決して…。
91年の9月、マイルスが亡くなったときすぐ、くたくたにゃん氏からの電話が鳴った。
「マイルス、死んだね。」
「死んだね…。」
「もう終わったね。」
「終わったね。」
たったそれだけを言い合うために。
終わったのが何なのか、二人とも口にしなかったけど。
そして、その通りだった。
私のジャズ歴はマイルスで始まって、マイルスが亡くなったとき、きっぱり現役の 「ジャズ聴き」 じゃなくなった。
現役 (新譜を楽しみにしてるミュージシャンがいる、とか、新録や新人にアンテナはってる、とか。) じゃなくても、過去の遺産だけで生きていけるし。
マイルスの遺産はたっぷりあって、未発表やブートも数しれなく出て、でも人生残り少なくなってきたし今持っている正規盤だけで十分だと思った。
このCDは、いつだったかなあ、昔たまたま輸入CD屋さんで見かけて、玉石混淆の未発表盤? と思ってあまり期待せずに買ったら、すごい大当り。
その後国内盤も発売されました。
88年、89年のあちこちのライヴを集めたものです。
ケニー・ギャレット(as)が泣かせる。
最初は気の利かないソロしか出来ない不器用な若僧で、マイルスなんでこんなの入れたんだろう、と思っているうちに、マイルスの励ましで (映像で見ると、プレッシャーかけてるとしか思えないが) どんどん上手になり、この中では目の覚めるような、捨て身てひたむきな、泣けるようなソロをやっている。
(マイルスが死んだあとまただめになっちゃった。 強いリーダーのところにいた人はそういう人が多い。)
八十代のマイルスのCDは、「ザ・マン・ウィズ・ホーン」はあまり聴かず、「アマンドラ」「ユア・アンダー・アレスト」「ドゥー・バップ」などは手放し、これは自分にとって最後の傑作と思っています。
(ただ、自分にとってマイルスのピークはやっぱり六十年代、七十年代だと思っていますが…。)
九十年代には、91年パリコンサート、という、これもいろんな意味で泣けるのがあるね。
これからジャズを聴いてみたい、という人に、いつもこう言っています。
「マイルスの音楽と、マイルスグループにいた人たちを追っかけて聴けばいいんじゃない?」
それで全てとはいわないけど、かなりの範囲をカバー出来るよね。
とにかくマイルスは、歴代の奥さんにどれだけ遺産を残したか知らないけれど、私にも残りの人生で使えきれないくらいの遺産を残してくれたのでした。
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