露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
写真は販促灰皿。
なんて親切な自動車学校!
昨日の8ミリ映画祭の文章が胸にせまったのは、古いツールを新しいものに衣がえして当然、という高度成長期のクセがいまだに抜けてないのが、ちょっとね、納得いかないからです。
かえって、もうそんな時代じゃないと思うんだけどな。
りょうは今一眼レフの白黒写真に凝っているのですが、「印画紙があぶない」 とのこと。
コダックはもう製造打ち切りだそうで、愛用していた写真家が頭かかえてたらしい。
一眼レフとデジカメは、違う。
8ミリとビデオも、違う。何が違うって、表現されたものが違う。
消しちゃいけないよと思うのはただの感傷じゃないと思う。
一方でポラロイドが復活したり、アナログレコードや真空管アンプが生き残ってたり、需要が根強くあれば未来への希望もありそうだけど、そのかわりめちゃくちゃお金かかるんだろうなあと思う。
私はつねに機器に乗り遅れてる人で、オフセット印刷が主流の時代に和文タイプをやり、パソコンが普及した頃にワープロをやり、熟練した頃にはインクリボンが手に入らない、という人生を送ってきた。
だから新しいものほどいいという向きの方には、全然説得力ないかもね…。
でもね、暗室ないもんだからアパートの部屋全体を暗室がわりにして、パットのなかの印画紙に画像が浮かび上がってくる、その瞬間のわくわく感が忘れられないのです。
これからの人が、その醍醐味が味わえなくなるなんて、かわいそうすぎる。
やっぱり余計なお世話かな。
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作業途中。
こね鉢は場所をとるので、在庫をためないように「売れたら仕入れる」を繰り返しています。
最近仕入れたこれは、大きさも手頃で状態もよいのですが、匂いをかいでみるとニスの匂いがプンプンする。
(この匂いをかいでみる、という行為、骨董業者なら必ずやりますね。
陶器なども、ひっくりかえして高台をみる、コンコンたたく、それから匂いをかぐ、という手順をすばやくやる。
それでその品の前歴を推測するのです。あるいは余分な手がくわえられてないか。)
さて、どうしましょう。 と思うひまもなく、やることは決まっています。
塗装をはがすこと。
家具類ならいざしらず、こね鉢に体内に入ると有害な塗料なんて許されません。
パンもうどんもこねられないじゃないの。
ほんとは、こちらが手をかけないで買われた方が考えればいいことかも、と思うのですが、知らないで有害なのを食材用に使われたらすごくやだ。
というのと、ニス臭のするこね鉢、という存在自体がいやなんだと思う。
漆のようなのになんでなんだろと思いながら、漆だと剥離剤もきかず大変なんだよなと思いながら、剥離剤はこれまた有害だよなと思いながら、バターナイフ一本でコツコツはがす。 はがし用のスクレーバーは木を傷めたりするので、バターナイフが一番いい。
小さいはげのある漆の小皿などを、バターナイフ一本で全部はがすと、とてもいいくりぬき小皿になる。
でも小皿一つでも腱鞘炎になっちゃうくらい大変だ。
そうやって一個二百円くらいで売ったので、とてもわりに合わないんですが。
やりはじめてすぐに後悔するのだけど、そういう物件が来ちゃうとまたやってしまう。 でまた後悔するのです。
漆のちゃぶ台をはがして木地に戻して売ったこともある。
この大変な作業は値段に入れない。
(入れると売れない値段になってしまう。)
お客様にしてみたら関係ないことだしね。
業者の方々は、多かれ少なかれ(モノを無駄にしないために)このような作業をしていると思います。
私は特に、「お母さんモード」というか「余計なお世話モード」というか…。
マイ ファースト 骨董食器。 印判ものを「骨董」と呼んでいいのかな。 買った当時はまだ骨董扱いされていなかったけど、昭和の戦前ものだってもう百年だものね。いいんだよね。
人生最初に買った骨董が、その後の骨董の好みを表わしている、と、聞いたことがあります。
古九谷や鍋島などを買ったらどんどん古手の高級食器に、 印判皿などの庶民的な雑器を買ったら、どんどんビンボーくさいもの全般に。
で私の場合、そのとおりであります。
「昔はどこの家にもあったね。今はどこにもないね。」 というのが自分のキモです。
古い蔵などあって、九谷、鍋島、柿エ門などが日常に使われていたお屋敷育ちなら、そういうものが懐かしいと思うんでしょうが。
昔の方なら 「あらヤダ。猫の食器。」 と言われそうなこの印判鉢は、直径18㎝のこぶりな鉢ですが、漬物にもきんぴらにも何にでも使えて今だにヘビーユース。
だいたい骨董の器というのはヘビーユース&ロングユースになる。
割れたら継いでもなんとしても使い続ける。
そういう気分になるもんだと思います。
前に、同じビンボーくさいもの派のニコニコ堂チョーさんが、「今の百円ショップで売ってるものが、未来の骨董になる。」 と過激なことを言ってたな。
そうかなあ。
普及してるものしか将来懐かしくならない、 という意味ではそうだと思うけど、 ほんとにそう思います?
どうも百円ショップに限らず新品で買ったものには、私なんかは 「飽きたら捨てる。壊れたら捨てる。」 の、使い捨て気分になっちゃうんですけど…。
そういう気分で作られているような気もするし…。
白磁にグリーンやブルーの二本線。
このシンプルな食器シリーズも、大好きなものの一つです。
日本のグッドデザイン、と思います。
戦中統制品だったり軍用だったり民生品だったりしますが、まあ、同じものです。
で、何かの記念に作られたもの (単に「記念」 と呼ぶ) も、なかなか味わい深いものが多く、その二つが合体したのが、これ。
湯呑みは上から、「完全肥料(屋号入り)」、 「選繭優良賞 昭栄製糸株式会社」、 「震災法施行十過年記念 建物共済」 と書いてあります。
小皿は 「太田病院」。
今みたいにマスメディアの宣伝が発達してなかった時代、何かにつけて 「記念」 を作っては配り、配られたほうに嫌がられていた、(たぶんね。) と推測します。
ものに印刷やエンボスで文字が入ってるのに興味があるという方は、そのうち間違いなく、「紙モノ好き」 になっていく素質があると思っているんですが、どうでしょうか?
扱ったなかで、今までも記憶に残ってる 「記念」 は、「社長外遊記念 国際タクシー」 という灰皿とか 「ポンプ新調記念 何とか村消防署」 湯呑みとかかなあ。
バカだなあ、としみじみ思いました。