露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
インテリアや雑貨の雑誌を本屋でパラパラ立ち読みして、すぐにうんざりして置いてしまった。
こだわりの何とか、なんてたくさんだなあ、と思う。
いっそ、もらいものと拾いものだけで成り立ってる部屋がいい。
もう何も選択したくない。
(我が家は売れ残り品と半壊品を修理したものばかりの、無選択受け身インテリアだ。いや、捨てるか残すかだけ選択してるかな。)
いつもいつも、「たかがモノじゃん。」 という気分がはりついている。
ほしかったものを市場で落とせなかったときや(これは負け惜しみだな)、高価なものをこわしてしまったとき、すぐこのフレーズが顔を出す。
今に始まったことじゃなくて、昔ホーローの洗面器を探して住んでた札幌中の金物屋を全部歩き回ったりした(当時はプラスチックかアルマイトだった。その後アフタヌーンティーがオープンして扱うようになった。)最中にも、裏腹だけど、そう思っていた。
時代の「カッコイイ」を「消費」に結び付けようとするのが商業活動というものだから、売ってないものを(売ってないからこそ?)探し求めるのはへそまがりかもしれない。
でもこういう人こそ、ほんとは商業主義のおいしいターゲットなんです。だって一万円のホーロー洗面器だって、あったら買ったかもしれないんだもの。
「たかがモノじゃん。」
時期によってそう思うんじゃなくて、いつもいつも通低音のように、その言葉がはりついていた。
骨董、古道具屋という商売は、もちろんモノ選びが基本なわけで、同業者に云ってみてもあまり共感を得られない「気分」ではあります。
なぜなんでしょう。
なぜだかわからないけど、わかるまでその「気分」を留保していたいと思うのです。
「TOKYOスタイル」(京都書院版)という写真集を初めて見たとき、その答の一部をもらったような気がしました。
東京の若者の安アパートリアルインテリア。
その無頓着さや悪趣味さをのぞいてやろう、とした意地悪な気分はふっとび、ページをめくるたぴに、自分でも思いがけなかった感動でいっぱいになるのでした。
写真をやっている人は写真の道具が、音楽をやっている人は楽器が、洋服好きは洋服が、つまってる部屋。
住人のエネルギーの方向がまるわかりの、狭い部屋。
都築さんは、最初からその有りように感動していたのでした。写真につけられたキャプションや、あとがきがすごくいいので、これを読まないとこの写真集の魅力は半減します。
ちょっと引用。
『インテリア・デザインに本質的になんの興味も持たない人たちがいる。(略)部屋にあるもの、ついているものを使って、足りなければそこら辺で買うなり拾うなりして適当に置いておくだけ。必要なものが必要な分だけ機能すれば、それで十分なのだ。壁とカーテンと家具の色のマッチングだとかよりも、彼らはもっと他のことに時間とエネルギーを使いたい人種である。』
こういう人たちに、都築さんと同じように、私も「乾杯!」しよう。
(でもやっぱり商売と矛盾してるな…。)
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これはモンゴルじゃないけど、旧ソ連のこけし。かわいい男子です。
sold out
朝青龍の引退に関して、モンゴルの人たちが感想をインタビューされているのを見た。
その民族衣装のすてきなこと!
中央アジアの人々の服は、モンゴルに限らず、布地も、色合いも、デザインも、とてもすてきで、とくにおじいちゃまなどとても威厳があってかっこいい。
「ボヘミアン」も「森ガール」も吹っ飛ぶわ。
(パキスタンの首相も、就任時から、ベストドレッサーだと思っていた。)
でも、こどもたちなどは、ふつうのフード付きパーカーなど着ていたから、あの衣装は年配の方用とか祭事用とかなのかなあ。
民族衣装って、どこも日本の和服と同じ運命をたどるのかしら。
パーカーのほうが動きやすいから、仕方ないのか。
世界中の服装が平準化していくのはつまらない。
関係あるよなないよな話ですが、方言。
北海道出身なので、
「おばんです。」(こんばんは)とか、「ゴミを投げる」(ゴミを捨てる)とか、「じょっぴん」(鍵)とか「こわい」(疲れた)とか、「あずましくない」(落ち着かない)とか、使いたくてたまんないけど、通じないので使わない。
でも「あずましくない」と「落ち着かない」じゃ違うのよ。
北海道育ちで北海道在住の方々は、心してありがたく使うように。
青森から上京したての女の子が、訛りが全然ないのにびっくりしたことがある。テレビのせいらしいのですが、方言が消えていくのもなんかつまらないな。
訛りいっぱいの方言で口説いてみなさい。イチコロだと思うよ。
蝋細工が美しい、古い内蔵標本。
古物には医療関係、実験室関係、というジャンルがあります。
クスリビン、フラスコ、試験管、という比較的ライトなものから、血沈台、点滴台、手術室ライト、診療ベッド、というディープな?ものまで、私は全部、OKです。
OKというのは、そういうのが苦手という方が意外に多い、と知ったから。
なぜ自分は、平気どころか積極的に仕入れてしまうんだろう、と思って、(今更だけど)最近思い出したことがありました。
十歳前後の頃だったか。
親に連れられてよく行っていた、大学の古い木造の建物。( 解剖関係?象の頭など解剖してた。)
廊下に木製の長い棚が何段もあって、そこに人間の頭蓋骨がびっしり、整然と並んでいた。
流木のように乾いた色をしていた。
親がそこで何してたのか、勉強していたのか働いていたのか、知らない。
私は今でも人間の大量の頭蓋骨の匂い、というものをはっきり思い出せる。
いやな匂いじゃなかった。
甘いような薬くさいような乾いたような。
漢方薬(大田胃散とか)の匂いが近いかもしれないです。
私この人が好き、とか、マイ フェバリット 頭蓋骨を選んだりして遊んだ。
あの頭蓋骨たちはいったいどこから来たんでしょう。
なぜ母が職場?に私をいつも連れていったかというと、預け場所に困ったからかもしれないんだけど、ある企みがあったんだと思う。
私を理系の職業を持つ人にしたい、という…。
医者か薬剤師か研究者か知らないけどとにかく「白衣を着る人」になってほしかったことは確かで、(「キューリー夫人伝」など与えられたし。)多分そのための馴らしなのでした。(しかし今思うと、荒っぽいやり方だ。)
だから実験器具類が平気なのも当然だと思う。
まあなんにせよ、親が子供の未来を設計するのは、間違っているし、ムダだと思います。
私は二十歳で自由で無頼の身となり、以後は、もやもやした文系的ビンボー生活を送って、理系学問などは小学生高学年どまりの(←あやしい!)、白衣ならぬ「毎日ジーンズの人」となってしまったのでした。
へたな写真だー。 ちょっと珍しいんじゃないかなと思うものを写してみましたが、コレクターの方にはありふれているかも? 左から、ビン博士庄司先生鑑定によると、明治38年~40年にのみ生産された牛乳ビン、グラヴィエール加工で笹柄とつるをか市三井牛舎の文字入りコップ、岡山「禁酒サイダー」のラベル付きビン、 Soundai ODAWARA オレンジジャムと書かれているアンカーコップ、東芝のロゴ入りコップ。
保証牛乳の工場柄のコップもあったのですが、それは「工場萌え」の方が買っていかれました。
お正月、BSの昭和博物館?とかいう番組を夫とボーっと見ていた。
レトログッズコレクターが次々と登場し、コレクションを紹介していた。
ソノシートとか、デパートの乗り物(コインを入れたら揺れるやつです)とか、ペナントとか。
私「コレクターって、みんな男なんだよねー。」
と言ったとたんに、画面に宇山あゆみさんが!
夫「女じゃん。」
私「あゆみさんは人形作家だからしかたないの。」(何の言い訳だ。)
店にお見えになるコレクターの方も、色々なことを教えていただく、とてもありがたい存在です。
コレクターとは、ほんとにディープな世界。
牛乳コップ。 ヨーグルトびん。 戦中統制品。 戦中金属代用品。 引き札。 縫い糸の台紙。 トランク(これは場所をとるね。)。 ウランガラス。 キューピー。 栓抜き。 バチモンキャラクター。 エボナイト、ベークライト、ルーライトなどの素材もの。 ちょっとバカな実用新案もの。
もう、あらゆるものにコレクターあり、と考えたほうが早い。
コレクターはやっぱり、ほとんど男である。
私自身は、コレクター魂というものがまるでなく、気がつけば何だかわからないものが集まってるけど、所有していたいというわけでもなし。 根性もなし。
気が多いのでジャンルを絞りこめない。
それは言い換えれば、「何の専門家にもなれない。」 ということで。
コレクターの方々と、古い生活雑貨を求めるお客様の両方に満足していただくというのは、とても難しいことです。(コレクター向きの品は、店じゃなくて骨董市向き、ネット向きなんだと思う。)
でもほら、気が多いもんで、両方のお客様に秋波(この言葉変換できなかった。死語?)を送ってたりして。
数を集めないと見えてこないことって、たしかにあると思います。
その見えたことのお話を伺うのは、とても興味ぶかいです。(いいとこどり?)
ほれぼれするような銅やかん。相変わらず目がなくて、相変わらず失敗し、(使用不可能。)成功例だけを売ってます。これは数少ない成功例。日本製の厚手で、狙ってない(当たり前だね)ゆがみがたまらない。蓋部分が大きく開くので使いやすそうです。
今年はね、あまり仕入れしないの。 在庫を売るの。
去年、木の学校机が売れた時のこと。 そのスペースにすぐまた同じような学校机をはめ込んだ。
すでに在庫があったんです。
置きながら、、ああ、こういうことするから、モノが入れ替わってない、って言われるんだな、と思った。
よく見てね、落書きが違うんだからね、とも思いつつ。
アルミやかんの売れたあとに、全く同じのをぶらさげたり。(だって定番で売りたいんだもの)
それで、反省しましたの。同じ在庫をこんなに抱えこんでるなんて、あんまりだ、と。
数モノの仕入れは仕方ないけど、学校机が数モノであるわけがない。 言い訳できないです。
今年の目標。
在庫をまず売る。
売れてから、仕入れる。
業者のみなさん、買おうとしたら、どうか、「あるでしょ?」 の一言を!