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露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。                                                  国分寺市本町2-25-15     ℡ 090-1400-7141   12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)

2024年11月24日 (Sun)
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2012年03月12日 (Mon)
あのね、 気を悪くされる方がいたらごめんね。
しょうじき、 あの日から一年、 って、 どういう意味があるのだろう、 と思ったのです。

「一見ただのガレキの山ですが、 見てください、 ここにランドセルが。 ぬいぐるみもありますね。」
って、 テレビのレポーター。
一年たって、 まだそんなこと言ってる。

ガレキが撤去されて道路だけが見える平地。
ほんとは、 この道路脇にプレハブづくりの小さな工場や小さな商店が立ち並んでてもいいんだ。
一年もたてば。

復興ビジネス、 ってことば、 イメージ悪いかしら。
私はどんどんやればいいと思う。
一番復興の近道だと思う。
去年、 お花見やお祭りやイベントの自粛ムードが広がったけど、 
あれ、 被災地の人達にとってどんな意味があったんだろう。
その自粛ムードをすすめた方々は、 復興ビジネスなんていうと、 震災を食い物にして、 とか、 震災をだしにして金儲けして、 とか、 絶対いうんだろうな。

「同情するなら金をくれ」 って名言た。
復興ビジネスをたたいて何もしない、 っていうのが、 ほんとはいちばん残酷なことだと思う。

少なくとも、
たたかない人でいよう、 と思ったのでした。




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2012年03月01日 (Thu)
彼を初めてテレビで見たのはいつだったか。
わ、 めちゃくちゃなつかしい感じの男の子だなあ、 と思ったのでした。
外見も、 歌も、 訛りまじりの朴訥な話し方も。

私が学生時代のとき、 こんな感じの子がまわりにいっぱいいたな、 と。
彼はどうやってあんな 「70年代的サブカル文化の匂い」 を身につけたんだろう。
まるでタイムカプセルに入ってた人みたいで、 だれよりも 「あの頃のフツーの男の子」 に見える。

なつかしくて、 かわいいぞッ。 (昔はまわりの子たち、 かわいいなんて思ったことなかったくせに。)

でもね。
「愛なき時代に 生まれたわけじゃない」
という歌詞を聴いたとき、
なぜかドキッとしたの。
ああ、 やっぱりそう思ってたんだ。 
ごめんね。 
…って、 私があやまる筋合いじゃないんだけど。

あの頃の男の子たちより、 ずっとしんどい時代を生きてるんだったね、 って思った。

娘がいうには、 彼、 そんなに若くはないんだよ、 って。
いい歳なんだよ、 って。
私にはどっちにしろかわいい歳だ。




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2012年02月20日 (Mon)
業者のMさん。
あの骨董市も来なかったし、 この骨董市も休んでるなあ、 と思って周囲の人にきいたら、
1月に亡くなったって… 。

体調悪かったからな、 という人もいれば、
はっきりわからないけど、 自殺、 という噂もあり、
荷物はきれいさっぱり市場で売って、 何も残さずに亡くなったとのこと。

そういえばMさんは、
去年の秋口くらいから、 珍しく市場で荷物を売るようになった。
私は11月にガラスビンの山や古布を大量に買った。
最近買い取りしたんだな、 と単純に思っていた。
彼もビン好きだったのを知ってたから、 なんで自分で売らないのかなと思ったけど。
骨董市の什器なども売っていた。
その頃から、 準備をしていたということだろうか?

Mさんとは、 親しくはなかった。
挨拶だけだった。
業者になってから長いのに、 いつまでたってもシロウトっぽい人だと思っていた。
おとなしく、 存在感も薄かった。
みんな、 彼を軽んじていたような気がする。

ひっかかっているのは、 月日をかけて準備したという、 その亡くなり方である。
最後に1月の市場で売り、 その三日後に亡くなっている。
荷物がきれいになくなったので、 ちょうどタイミングよく病気で死にました、 とは考えにくいです… 。
Mさん、 その間何を考えていたのだろう?
気持ちはぶれなかったのだろうか?

「店に行ってもいいか?」 と言われたことがあった。 (私は誰にでも 「いいよー。」 と言う。)
一度だけ来た。
業者で彼と親しかった人はいなかったと思う。

ほんとにもう… !
最後まで人をイライラさせるやつだなあ!
業者としてシロウトだけじゃなくて、 人間としてシロウトだよ。
(といいたくなるくらい、 不器用なやつだったのだ。)
体調悪くて仕事できないんだったら、 生活保護でもなんでももらって、 生き延びろよ!  と思ったけど。
でも。  彼の考えなんて、 なにもわからない。
わかるもんか。

このあと誰が、 この世に彼という人がいたことを覚えているんだろう。






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2012年02月11日 (Sat)
「原発の是非を問う都民投票の直接請求を実現させる」 署名、 郵送させていただきました。 お世話になりました。

 ◇◇◇◇◇◇

某月某日のある骨董市出店場所でのこと。
道路の真向かいに、 中年女性が二人立っていました。
一人は小さいパンフレットを片手で掲げ、 もう一人は首から画板を下げている。
二人とも、 まっすぐ前を向いて、 無言… 。

そのなんというか、 禁欲的な立ち姿に、 私、 なんかの宗教団体だろうと思ったの。
少したって近づいてみると、 この署名だったのでした。
その場で署名して、 さらに1時間くらい、 自分の店から見ていたのね。
相変わらず二人は直立不動で無言。
通行人、 素通り。

もう…! と思って、 また行った。
あのねえ、 声出さなきゃだめじゃん。
「脱原発を決めるための、」 とかなんとか、 できるだけ短い言葉でね。 
つっ立ってるだけじゃなくて、 ボールペンを反対に持ってだね、 こう通行人の胸元に… 。
(なんで私がこんなことを、 と思いながら… 。)

その後、 受任者になったのですが、 知らなかったという方が多く、 
また趣旨には賛成でも、 「住所を書くのは、 ちょっと…。」 とためらわれる方も多かったのでした。
(だって署名だよ…。 )
今どきは個人情報保護の意識が浸透していているんだなあ、 過剰反応だなあと思った。
でも… 、 「絆」 なんじゃなかったっけ…?

 ◇◇◇◇◇◇

この条例に関しては、 各政党とも消極的で、
「経済への影響」 とか  「計画停電OKなのね」 とか、 (おどし?)
都知事閣下におかれましては、 「ヒステリックだ。」 とまでおっしゃっております。
「人類は災害や事故を乗り越えて文明を作ってきたんだ。」 って。
原発事故をも、とは、 まあ、 ポジティブな方ですね。

原発事故というもので、 直接被害の方々はもとより、 日本人一人一人が、
今も、 たぶんこれからもずっと、
経済成長とは交換できない絶望と、 閉塞感と、 先のない終末的な気分におおわれていることを忘れないでいただきたいと思います。
それが今、 被害を受けた方々と自分が共有できる唯一の 《気分》 です。
この 《気分》 のまま、 経済成長ができるとお思いですか?
政府と電力会社が率先して 「風化」 させないでいただきたい。
こんな気分で 「少子化対策」 も何もあったもんじゃないと思います。
子供がいてもいいかな、 と思う感情は、 とてもデリケートなもんですからね。






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2012年02月05日 (Sun)
「原発事故による放射能被害は、 町の人達の関係も分断してしまった。
避難する人たちと、 避難したくてもできない人たちがいて、 
避難した人たちがその後町に戻ってきても、 関係がぎくしゃくして、 以前のようには仲良くできない。」

という話を、 ある現地の男性から六ヶ月くらい前に聞いた。
今までの住民のつながりや情を、 ズタズタにした、 と。

それを聞いたときはただただ、 大変だな、 つらい話だな、 と思ったけど。
でもね。
その後、 思ったのね… 。

「人それぞれ、 違う事情があり、 よって、 行動もそれぞれ違うのだ。」
ということを受け入れられない、 というのは、
それ以前の、 人情があって仲良く暮らしていたと思っていたときから、 すでに、
そういう関係でしかなかったのだよ、 
と。

ある地域だけのことじゃない。
何かおきないと顔を出さないけど、
「普段は成熟した市民社会の顔をしているムラ社会」
というものは、 日本中どこにでも、 身の回りにある。
会社でも、 学校の保護者会でも、 地域の町内会でも、 近代的できれいな大開発分譲地域内でも。
それは、 原発事故とはまた別の問題。

私の出身地の北海道は、 先住民族や、 食いっぱぐれた者や、 無頼、 流れ者、 ヒッピーの元祖の地だったから、 こういう種類の 「前近代性」 は私は全然感じなかった。
(自然との格闘でそれどころじゃなかったのだろう。)
今はどうなのかわからないけど。

いやなものがくっついていない人情が、 いい。
寅さん (寅さんの周辺、 かな) も苦手だし三丁目の夕日も漫画連載時からきらいだった。
と思う私は、 かなり人が悪いのだ、 と思う… 。
「絆」 ということばにも、 じつは何も感じないのです。




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