露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。 国分寺市本町2-25-15 ℡ 090-1400-7141 12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)
西国分寺、 恋ヶ窪、 武蔵野美大周辺に、 立ち退きで出来た膨大な空地が拡がって、
いよいよだなとは思っていたけど、
玉川上水をつぶすとは思わなかった。
36M道路が出来るとも思わなかった。
どういうメリットがあるんでしょう。
http://www.google.co.jp/gwt/x?client=twitter&wsc=tb&u=http%3A%2F%2Fjumintohyo.wordpress.com%2F%25E8%25B3%2587%25E6%2596%2599%25E3%2581%25AE%25E3%2583%259A%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B8%2F&ei=eR7JUMbjC8j0lAWH7IHYCA
いよいよだなとは思っていたけど、
玉川上水をつぶすとは思わなかった。
36M道路が出来るとも思わなかった。
どういうメリットがあるんでしょう。
http://www.google.co.jp/gwt/x?client=twitter&wsc=tb&u=http%3A%2F%2Fjumintohyo.wordpress.com%2F%25E8%25B3%2587%25E6%2596%2599%25E3%2581%25AE%25E3%2583%259A%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B8%2F&ei=eR7JUMbjC8j0lAWH7IHYCA
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もう看板がボロボロで …という話を伝え聞いた友人・山田勇男画伯 (こっちのつごうで肩書が変わるなあ …。) が、 わざわざ描きに来てくれた。
(彼、 昔は本物の看板職人だったのです。)
簡単な打ち合わせのあとおまかせしていたら、
出来上がりがなんとも祝祭的!
(彼は天井桟敷の美術師でもあったのでした。)
この古ぼけた店には気恥ずかしく、 お願いしてグリーンと白だけに変更させていただいた。 ごめん!
じみな、 「黒板とチョーク」 的な色になりました。
でも、 彼は字体そのものにインパクトがあるからね。
10年以上使った古看板は 「殿堂入り」 です。
閉店後、 ヒロカと山田勇男氏といっしょに西八王子の 「ハープス」 という古道具屋さんへ。
以前ブログに、 8㎜フイルムを上映してくれる方を探している、 と書いたら、 けむりさんという方が紹介して下さったのでした。
ご主人がなれた手つきで映写機を操作して上映してくださいました。
「ツヤ子の幼稚園の一日」
「ファッションショウ」 (これは中身違いのようで、 ツヤ子の小学校入学でした。)
「志田百貨店」。
いや、 面白かったです。
カメラワークも編集もしっかりしていました。
どうやら 「百貨店」 を経営されてた方のようで、 店頭に家具、 電化製品、 ラジオなどが並べられていて、 「ハープス」 ご主人は 「そのまんま古道具屋だなあ。」 とつぶやいておりました。
昭和32年撮影、 とクレジットが。
これはもう今までみたいにフィルム抜いてリールを売る、 ってわけにいかないね …。
(観ちゃったのが悪い。)
古い8㎜鑑賞同好会的なものもあるらしいので、
適している進呈先を考えたいと思います。
「ハープス」 さん。
けむりさん。
ほんとうにお世話になりました。 ありがとうございました。
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サトル25歳。
彼が高一の頃からの知り合いです。
高校でバンドを始め、 ドラムを担当していて、 びっくりするほどうまかった。
モヒカン、 ピアス、 タトゥーの外見でお父上の怒りを買っていたが、 外見に似合わず礼儀正しく、 気持ちのすなおな子だった。
歌もうまくて、 シオンのカバーなどは絶品だった。
音楽の専門学校を卒業後、 バンドとバイトの暮らしで自活しているうちに、
彼女ができ、 赤ちゃんができ、 今春、 土建関係の会社に就職した。 (といっても日給制。)
まあ、 よくある話ですけどね。
半年がたって、 そのサトルが今、 心を病んでいるという。
長時間過重労働、 現場のきつさ、 怒られてばかりの人間関係。
心痛で職場で吐き気におそわれるそうな。
サトルは、 優しくてまじめな子である。
夫に言わせると、 そういう人間がアブナイんだそうだ。
妻子がいると人質をとられてるようなもんだから。
不当な扱いでも逆らえないから。
開き直れればいいんだけどね、 理不尽なことには反抗的態度を示し、 いつても辞めてやるぞと思わせられればね、 と言う。
サトルの場合に限らず、 よく耳にする話なのです。
同じ職場でもバイトから正社員になったとたんに働き方が非常識にきつくなった、 とか。
でね、 聞くたびに思うのは、
そりゃ小さな会社の経営も苦しいだろうけど、 人を使い捨てることでしかやっていけない会社って、 すでに終わってるんじゃなかろうか、 ということ。
っていうか、 経営成立してないんだから、 終わったほうがいいと思う。
露骨に、 辞めてもいいんだよ、 おまえが壊れたって代わりはいくらでもいるんだよ、 と毎日ささやかれているようなもので、
これ、 相当きついと思います。
そういう働き方を強いられている若い人たちには、 まず労働時間を記録することと、 ハラスメントのすべてを日付入りで記録することを勧める。 役に立つときが来るかもしれないから。
その上で、 起業してみたら? って勧めたくなるのは、 間違ってるでしょうか?
こんな時代に起業なんて、 って?
でも、 初期資本が少なくてすみ、 そこそこ暮らせるだけの稼ぎもある、 そんなのもあるのでは?
屋台をひくのもいい。
田舎で農業やるのもいい。
古物商なんかすぐできる。
それもこれも甘くはなく、 大変なことだと思うけど、 心が壊れることはないんじゃないか、 と …。
ねえ。 人生は長いよ。
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彼が高一の頃からの知り合いです。
高校でバンドを始め、 ドラムを担当していて、 びっくりするほどうまかった。
モヒカン、 ピアス、 タトゥーの外見でお父上の怒りを買っていたが、 外見に似合わず礼儀正しく、 気持ちのすなおな子だった。
歌もうまくて、 シオンのカバーなどは絶品だった。
音楽の専門学校を卒業後、 バンドとバイトの暮らしで自活しているうちに、
彼女ができ、 赤ちゃんができ、 今春、 土建関係の会社に就職した。 (といっても日給制。)
まあ、 よくある話ですけどね。
半年がたって、 そのサトルが今、 心を病んでいるという。
長時間過重労働、 現場のきつさ、 怒られてばかりの人間関係。
心痛で職場で吐き気におそわれるそうな。
サトルは、 優しくてまじめな子である。
夫に言わせると、 そういう人間がアブナイんだそうだ。
妻子がいると人質をとられてるようなもんだから。
不当な扱いでも逆らえないから。
開き直れればいいんだけどね、 理不尽なことには反抗的態度を示し、 いつても辞めてやるぞと思わせられればね、 と言う。
サトルの場合に限らず、 よく耳にする話なのです。
同じ職場でもバイトから正社員になったとたんに働き方が非常識にきつくなった、 とか。
でね、 聞くたびに思うのは、
そりゃ小さな会社の経営も苦しいだろうけど、 人を使い捨てることでしかやっていけない会社って、 すでに終わってるんじゃなかろうか、 ということ。
っていうか、 経営成立してないんだから、 終わったほうがいいと思う。
露骨に、 辞めてもいいんだよ、 おまえが壊れたって代わりはいくらでもいるんだよ、 と毎日ささやかれているようなもので、
これ、 相当きついと思います。
そういう働き方を強いられている若い人たちには、 まず労働時間を記録することと、 ハラスメントのすべてを日付入りで記録することを勧める。 役に立つときが来るかもしれないから。
その上で、 起業してみたら? って勧めたくなるのは、 間違ってるでしょうか?
こんな時代に起業なんて、 って?
でも、 初期資本が少なくてすみ、 そこそこ暮らせるだけの稼ぎもある、 そんなのもあるのでは?
屋台をひくのもいい。
田舎で農業やるのもいい。
古物商なんかすぐできる。
それもこれも甘くはなく、 大変なことだと思うけど、 心が壊れることはないんじゃないか、 と …。
ねえ。 人生は長いよ。
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昔アメリカで二回体験したハロウィーン。
前日にスーパーで袋菓子を山のように買い、 小分けしといて子供達を待つ。 (これをやっとかないとあっという間に失くなる。)
普段はつっぱりの男子高校生が、 普段の黒いパンクでホラーなTシャツを顔までひっぱり上げただけの安易な仮装?でお菓子をもらいにくる。 (この日は子供でいたいのだろうね。)
近所の女の子が 「仮装で日本人になりたい。」 と言うので、 娘三歳の浴衣を着付けしてあげた。
それを見た娘が 「私も着たい。」 と言うのを、 「あんたは日本人だからダメ。」 と私は言った。 (らしい。)
(娘は今でも、 あの時お母さんはわけのわかんないことを言った、 と、 「わからんちんの母」 の事例として口にする。)
ところで私が小樽に住んでいた小さいとき。
七夕の祭の日、 浴衣を着た子供たちが手に小さな紙提灯を持ち、 列をなして家々を回ってお菓子をもらって歩く、 という風習があった。
あれはほんとうにあったのだろうか、 それとも幻だったのか、 と、 この日には思い出します。
口上は、 「ローソク出ーせ、 出せよー。 出さないとかっちゃく (引っ掻く) ぞ!」 というの。
まんま 「Trick Or Treat!」 でしょ?
ここで 「じゃあ、 はい、 ローソク!」 なんて大人はいなくて、 お菓子です。
私は 「バレンタインデー」 がチョコ業界の陰謀?であっという間に今のような習慣になった経過をリアルに見てきているので、 この手の商戦には冷めきっているのですが、 ローカルの 「風習」 はいっぱい知りたいのです。
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前日にスーパーで袋菓子を山のように買い、 小分けしといて子供達を待つ。 (これをやっとかないとあっという間に失くなる。)
普段はつっぱりの男子高校生が、 普段の黒いパンクでホラーなTシャツを顔までひっぱり上げただけの安易な仮装?でお菓子をもらいにくる。 (この日は子供でいたいのだろうね。)
近所の女の子が 「仮装で日本人になりたい。」 と言うので、 娘三歳の浴衣を着付けしてあげた。
それを見た娘が 「私も着たい。」 と言うのを、 「あんたは日本人だからダメ。」 と私は言った。 (らしい。)
(娘は今でも、 あの時お母さんはわけのわかんないことを言った、 と、 「わからんちんの母」 の事例として口にする。)
ところで私が小樽に住んでいた小さいとき。
七夕の祭の日、 浴衣を着た子供たちが手に小さな紙提灯を持ち、 列をなして家々を回ってお菓子をもらって歩く、 という風習があった。
あれはほんとうにあったのだろうか、 それとも幻だったのか、 と、 この日には思い出します。
口上は、 「ローソク出ーせ、 出せよー。 出さないとかっちゃく (引っ掻く) ぞ!」 というの。
まんま 「Trick Or Treat!」 でしょ?
ここで 「じゃあ、 はい、 ローソク!」 なんて大人はいなくて、 お菓子です。
私は 「バレンタインデー」 がチョコ業界の陰謀?であっという間に今のような習慣になった経過をリアルに見てきているので、 この手の商戦には冷めきっているのですが、 ローカルの 「風習」 はいっぱい知りたいのです。
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