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2024年11月23日 (Sat)
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2013年08月10日 (Sat)
あららら、
五十嵐秀彦句集(アルス) とはなれられない。
幸いにも軽い本なのでどこにでも持ち歩いている。

座右の銘?
ちがうなあ。
そんな頭と思想と関係なくて、
何と言ったらいいかな。
もっとカジュアルに、 ハンカチを持ち歩くように、 日常的に必需品になってる。
いつでもどこでもどこからでも読める、 モバイルな本。
カジュアル、 って失礼な言い方なんでしょうか。


私も昔、 定型詩日記みたいの書いてたことを思い出して、
ひさしぶりに読んでみたら、一人でテレてしまった。
五十嵐さんに添削をお願いしようかなと思ったけど、自己流で基本を知らない恥と、 私生活の恥と、 二重の恥だからやめとこう。
おまけにめっぽう暗い。
よく、「夜中に書いたラブレターは朝になると読めない」 というけれど、
20才前後の文章なんてみんな 「夜中に書いたラブレター」 なんである。
私だけじゃないでしょう。


こんな、 持ち歩きたい本って今までにあったかなと思い出してみると、  ―――あった気がします。
でもやっぱり全部19か20才くらいのときだった。
思潮社の現代詩文庫とか吉本隆明初期ノートとか寺山 「ひとりぽっちのあなたに」 とか、 どこからでも読めるものばかり。
ひさしぶりに、 そんなことを思い出しました。

句を作る友人と、 寺山修司の弟子筋の友人山田勇男さんに贈るべく、 あと二冊注文いたします。


叢に指と句集をのぼる蟻


つゆ草と似合ふ角度に句集置き

(オソマツ)






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2013年08月05日 (Mon)


私は俳句の鑑賞の仕方がわからない人間で、
謎かけのような短いことばに評者が 「これはこういう意で」 と謎ときしながら評するのを読んでも、
そんなこと最初からわかったためしがないのです。
禅問答かと思う。
裏読みのできないボケタイプなので、 なんとなく苦手意識がありました。
短歌の鑑賞の仕方はわかるような気がする。
とっても短い小説のようなものだから。

ところが、 この句集は、 音楽を聴くように、 わかる。

そういう鑑賞でいいのかな。
無心に読んで、 感覚に沁みる。

「うしろ手に菫隠してゐたりけり」
の句や、
「鰐を飼ふ青年教師夏休み」
の句は寺山修司を思わせて、 ああいいなあ、 と思いながら読んだのですが、

実は一読して、 どきんとして、 すぐ涙があふれてきた句がありました。  自分でびっくりです。

「一代の咎あれば言へ沙羅の花」
(こういう人は多かったのではないでしょうか。
人はみな咎ある身。)

やさしくて、 ものがなしい作風、 と思い込んでいると、
ときどき、 激しい句にぶちあたったりします。

音楽を聴くように、 言葉を味わっています。 





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2013年07月15日 (Mon)


梅津和時(as,bcl,ss) 大田恵資(vln) 清水一登(p) ライブ at 国分寺GIEE。

70年代の生向委から折にふれて聴いてきた、勝手に長い付き合いですが、
梅津さんの歌を聴いたのは初めてで、驚きました。
震災のあとに作られた「東北」。
ゴスペルのようで童謡のようで、カテゴリーには入れられないような不思議な、とても胸に迫る歌でしたよ。

このご三人、それぞれが色々な表現の幅広い音楽性ををお持ちですが、
一緒にやると古今東西の音楽がミックスされた、なんというか、この上なく愛嬌のあるフリージャズになるのでした。
(それを小さなハコで聴けるぜいたく!)

「選挙に行ってください。
投票率が低いって一番情けないことじゃないですか。
原発事故がなかったことになるのは悔しい。」
(仙台御出身の梅津さんからのメッセージです。)




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2013年04月11日 (Thu)
書きたりなかったので、 もうちょっとひっぱりたいの。
まだ観てなくて観る予定の方はくれぐれもスルーしてくださいな。

●まずタイトルのレトロな赤い丸太文字のフォントとオープニングにかぶさる 「続荒野の用心棒」 のテーマ曲 「ジャンゴ」 が、 いきなり過去の西部劇にたいするオマージュ。 
●シュルツが酒場でていねいに泡を切った生ビールを二つ作りジャンゴにふるまうことで、  奴隷をちゃんと人間扱いしていることがわかる。 (ありえない扱いにとまどうジャンゴの表情。)
●二人を襲う白い頭巾のKKKを思わせる集団が 「布が動いて前が見えない」 「誰が作ったんだ」 と言い争いをするところ。
タランティーノのいつものリアリティのある無駄話だけど、 KKKへの痛快なからかいとなっている。  だってこの夜襲に白頭巾をかぶらなきゃならない必要はないじゃないですか。
●ディカプリオから握手をせまられるところがこの映画のクライマックス。
シュルツ先生、 さんざんジャンゴに 「キレるなよ」 と諭しておきながらここで自分がキレて 「ごめん、 我慢できなかったんだ…」 というところ。
●ジャンゴが死んだシュルツの頭をなぜながらバイバイじゃなくて 「アウフヴィーダーゼン」(また逢おう) というところ。
●護送されるジャンゴがシュルツの口八丁を真似して逃げるところ。
●「Dは発音しないんだ」 といって撃つところ。
●そしてそしてラストの大団円。
歌舞伎役者のように見得を切るジャンゴ。

映画的快楽、 ってこれらのことをいうのだと思うわけです。

ディカプリオはもう永遠に悪役やってほしいねえ。
生き生きしてたし。





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2013年03月25日 (Mon)


なぜかタランティーノの映画を観ると、  内容はさておき、  いつも 「映画を観ることの快楽」 自体を感じるのです。
この映画もそうでした。
映画ってこうだよなあ。
西部劇ってこうだよなあ。 (…って、 ヘンな感想だけど。)

「イングロリアス・バスターズ」 でゾクゾクするほどの怖さを見せてくれたクリストフ・ヴァルツが今回も素晴らしい。  ジェイミー・フォックスよりこっちが主役といっても言いくらい。
奴隷制がどういうものだったかをリアルに描いているけど、 (いや、 これでもソフトなんでしょうね。)
そこはタラ様。  社会派映画ではありません。  エンターテイメントしてます。
もっとB級的安っぽさがあるのかなと思ったけど。
欲を言えば、  ジャンゴのキャラが少し薄かったような。
女奴隷役もなんかデクノボウだった。
キャラがたっていたのは、  ヴァルツと複雑な内面をうかがわせる農園主役のディカプリオとそれに仕えるサミュエル・L・ジャクソン。
ディカプリオ、  もう少しで怪優になれますね。

タランティーノの暴力は嫌味がない。
後味がいいというか。
心が病的じゃないというか。
これもとても後味のいい映画でした。

ジョン・フォードを一本も観てなくて西部劇が好きというのもおこがましいのですが、
マイ・ベストは  「続・夕日のガンマン」、「夕陽のギャングたち」、「ウェスタン」
という、  面白いけど格調は高くないかも?系で、  この映画もそのベストに連なりましたね。

格闘奴隷、 奴隷の恋愛、 賢い脱走奴隷、 反抗を描いてることでは  「スパルタカス」  を思い出しながら観ていました。 
スパルタカスの反乱は鎮圧されるけど、  後へ続く者への希望が托されていました。
これも大好きな映画です。

蛇足ですけど、 カーク・ダグラスは息子より十倍くらいいい俳優だと思う。






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