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露地裏骨董。 気になる商品がございましたら、「商品の問い合わせ」欄からご連絡ください。詳細説明、追加写真などをお送りします。                                                  国分寺市本町2-25-15     ℡ 090-1400-7141   12:00〜20:00(日曜13:00〜19:00)

2024年04月20日 (Sat)
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2011年11月10日 (Thu)

なぜか寒くなると聴きたくなるので、 最近これを店でよくかけている。
たまたま来店された男の子が、 誰ですか? ときいたので、 六十代になったキャロル・キング、 と答えると、 へえー、かっこいい! 僕 「タペストリー」 大好きなんですよ、 という。
それなら、 と、 「イッツ・ツゥ・レイト」 と 「君の友達」 と 「空が落ちてくる」 のトラックをかけてあげる。
彼、 階段に腰掛けて本格的に聴く。
いいなあ! 若いときのよりいいなあ! を連発。
そうでしょそうでしょ。

声はいくぶん低くなって、ハスキーになったけど、 かえって魅力的になったし、 歌の世界が大きくなっている。
「君の友達」 なんか昔のより泣ける。

何年前か忘れたけど、(コンサートのタイトルも忘れたけど、) ファーギー、 メアリー・J・ブライジ、 キャロル・キングの三人のジョイントコンサートが武道館であった。
私のお目当てはファーギーで、 つぎにメアリー。
キャロル・キングは過去の人、 というイメージだった。
ところが、 ダントツによかったのが、 キャロルだったのでした。
なんかもう、 歌唱力とか、 技術とか、 曲やアレンジの目新しさとか、 そんなところで勝負してないです。
ハートと包容力と人間性の幅と…、 感動の元は、そういったものでした。 
コンサートがとてもよかったので、 直後に買ったのがこのCD。 
2005年のツァーを収めたものです。

以前、 「タペストリー」 の 「君の友達」 の歌詞を聴きながら、 夫が、 「うそっぽい。 こんなやついないぜ。」 と言ったことがありました。
そうかな… 。
私は、 ほんの若干名だけど、 いるよ…、 と思いました。
困難なときに何をおいても駆け付けるほどの、 それほどの恩恵を受けている友達が。
六十代のキャロルの方のを聴くと、 夫も 「うそくさい。」 とは言えないんじゃないかなあ、
と、 そう思うくらい、 じんわりと心に沁みるのでした。。




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2011年10月13日 (Thu)
「上海リル」 という楽曲は、 昭和8年の映画、 「フットライト・パレード」 の主題曲です。
翌年日本でも大流行して歌詞が作られ、 昭和15年まで、 競作のオンパレードでした。 
(極めつけはディック・ミネのだと思いますが…。) (あ、リアルタイム体験じゃないからね。 念のため。)
比較的最近のでは吉田日出子が情感豊かにはかなげに歌っていて、 これもとてもいい。

〈  明るいシャンデリア  輝く杯 (さかずき)
   麗しきジャズの音に  踊るは上海リル
   今日はこのお方と  明日はあの方と
   悩ましき姿は  私の上海リル  〉

昔 (2002年だったか)、 屋号を変えようかなと思い立ったとき、 当時高校生の娘に、
「リルさんってね、 横浜のキャバレーの踊り子だったのね。
戦前の軍国主義を嫌って自由な上海に渡った恋人のジャズマン (ホーン奏者だと思う、 たぶん。) を追って、 リルさんも上海に渡ったのね。
で、 戦争のどさくさではなればなれになり…、」
なんて、 見てきたような嘘、 というかでたらめの作り話をして聞かせたけど、 ( 「上海バンスキング」 と 「港のヨーコヨコハマヨコスカ」 が入り混ざってるな。)
ほんとはずっと古い歌だったんでした。

戦後は、 アンサーソングのオンパレード。
リルのその後を心配? して、 昭和26年に作られたのが津村謙の歌う 「上海帰りのリル」 で、 大ヒットしました。
店で歌い出すおじさまは必ずこちらの方です。

その後、 「リルを探してくれないか」 (津村謙)
「心のリルよなぜ遠い」 (津村謙)
はては、
「私がリルよ」 (名前忘れたけど女性歌手)
「私がリルの妹よ」
なんてのまで出た。
妹が出てきてどうすんの。
リルというロマンで、 悪ノリ気味に遊んできたんですね。

で店では、 扱うものが昭和初期から昭和30年代までのものが多いことと、 この 「ずっと想像で遊び継がれてきた」 というところが気に入ってたので屋号にしたんだと思います。 今思うと。

「屋号を 上海リル に変えたよ。」 と当時母に伝えたら、
「え、 ヒキアゲシャじゃない!」 と言った。 (高齢者ゆえ差別的言辞ご容赦下さい。)
笑った。
娘と練り上げたロマンが一瞬でかたなしである。
それを言うなら自分だってニュウショクシャのムスメのくせに。

ちなみに、母に銘仙の着物を見せたら、 即座に 「女中の着物!」 と言った。
こやつに骨董趣味は無理だと思った。



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2011年09月29日 (Thu)

プロからアマチュアまで、 空を写すカメラマンは多いと思うけど、 私はあまり面白いと思って見た覚えがないのです。
でも、 アラーキーのだけは、 グッとくる。

撮影の技術よりも、 雲のモティーフなどよりも、
要は、
「何を思って空を見ているか」
につきるのだと思う。


空 ON 空。
(他の展示で観た、 ポラロイドの空に原色アクリルで殴り書きしたシリーズも、 そうとうすごいのです。)

荒木さんのほかは、 黒いY字路をワンルーム分出品されてた横尾忠則さんがよかった。
最初に黒で下塗りして、 その上にぼんやりとY字路と手前に静物が描かれている。
よりやわらかく、 自由になっている。
自分の写真を模写して、 固いタッチで描き始められたY字路シリーズが、 このままでいられるわけはない、 となぜか思っていたところがあるので、 すごく納得してしまいました。
個展で観たいです。

ほかは、 印象うすかったかな。
ずーっといろいろな方の作品を (ネームプレートを見ずに) 観ていって、 おお、これは、 と思ったのが、 マックス・エルンストだったり。
(たまに混ざっているのです、 マグリットとかポール・デルヴォーとか。)
私はビッグネームも新進若手もフラットに観るほうだと思ってるのですが、 そうだったのだから、しかたがないなあ。

ぜんたい、 GEISAIみたいだなと思いました。


2011年09月21日 (Wed)
台風なう。
今日は、店内作業の日と決める。
店が吹っ飛ばされたら、帰ります。
わー、ゆれてる。

カテゴリーの 「聴く観る読む」 のうち、 「読む」 がないなあ、と日ごろから思っていたのですが、
書くひまがないだけで、ほんとは重症の活字中毒。
特に、眠る前と電車の中は本がないと耐えられないのです。
八十年代、 大学生協の書籍部というところで六、七年くらい働いていたことがあるのですが、 これが困った職場で、 割引で買えるもんだから、本代が給料を上回ったこともありました。

その通勤電車用の本は、 一度キッチンの秤で重さを測るのです。
文庫新書ならいいのですが、 単行本の場合は、 700グラムが持ち歩きの限度です。
(幼児や保育園の道具もあるので。)
本を注文するときにグラム数もわかったらいいのにな、 といつも思っていました。
活字中毒者の巣窟、「本の雑誌」 でもそんな特集はしなかったな。

で思い返してみると、 出版された全作品を、出るたびに読んでいたのは、 佐野洋子さんだけでした。
文章がうまいなあ、 といつも感心していたのも、 佐野洋子さんでした。

谷川俊太郎氏と結婚する前に、 友人に、 「わたし、あのひとおとしてみせる。 手紙で。」 と言ったそうで、
それを読んだときは、 わー、すごい自信だな!  と思ったのを覚えています。
(だってさ、…詩人だよ。)

「右の心臓」(お兄さんのこと)や 「シズコさん」(お母さんのこと) のように、 身内のこと、 個人的な体験のことを書いて普遍的な共感を呼ぶ、 というのは、 とてもバランス感覚の優れた人だったんでしょう。
痛切な体験に体まるごと感じ入りながら、 それを俯瞰で眺められる理性の眼、 といったらいいのか。

ガンの転移がわかったときから、 佐野さんに誘われて麻雀にいったりするちょーさんに、 「佐野さんどうだった?  元気だった?」 といつもきいていました。
お友達にいつも囲まれているようでした。
連載エッセイのタイトルが 「死ぬ気まんまん」 だなんて、
うそばっか!  と思っていました。

実際、 佐野さんのエッセイには、 かなり虚実が入り混じり、誇張や脚色が多く、 かの 「シズコさん」 もそんなにひどい人ではなかったらしい。
でも、 これってうちの母親だ!  と思った人がたぶん大勢いて、(私もそう) 共感が真実なら、 それでいいのだ。

あらためて 「死ぬ気まんまん」 を読み通すと、
鬱病のときに、 ホスピスであった人物の描写や、(これだってどこまで実在の人かわからないけど) 筆を置く前まで自分をみつめる眼が、 あいかわらず鋭くて、
こんなに冴えてるひとが、 死期が近いことを知ってる、 って、 どんなに残酷なことか、 って思う。
これだけ、 生きることやヒトが好きだったんだ。
「死ぬ気まんまん」 なんて、、
(粋で男前な!)うそばっか。
2011年08月30日 (Tue)
8月中旬の暑い日、渋谷イメージフォーラムで。

とても気になっていた映画でした。
「ただ逃げる男」 の映画。
山岳地帯を逃げる男、捕まって輸送中に事故で放り出され、また雪山を逃げる男、の映画です。
男はタリバーン、追うのは米軍。

でも政治性は省略されている。
それは、いいのだけれども。
男にも米軍にも、精神的に加担できない。
それも、いいのだけれども。
(監督の狙いでもあっただろうし。)

もうちょっと、なんとかならなかったか、と思ってしまったのでした。
観たあと、何年も何年も反芻できるような…。

おひさしぶりのヴィンセント・ギャロは、私には可もなし不可もなし。
「バッファロー66」 で大好きになり、「ブラウンバニー」 で俺様ぶりがいやになってお別れした俳優です。
勝手に好かれたりお別れされたりして、スターはたいへん。
このセリフのない演技もたいへんだったろうと思うけど、
やっぱりギャロも、もうちょっとだけ、なんとかならなかったか、と思ったのでした。
もっと、がっつんと、心に残ってほしかったのでした。
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