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2024年11月24日 (Sun)
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2010年12月24日 (Fri)

今年の後半で一番繰り返してかけたかもしれない、ラウル・ミドンのファーストアルバム、「STATE OF MIND」。
この人、CD屋さんで探すときが難しいのです。
ロック、ポップス、ソウル、南米、のどこを探していいのかわからないので、すぐ店員さんに聞く。
タワレコではソウルコーナーよ。
歌もギターも、バツグンに上手い。
盲目のシンガーで、スティービー・ワンダーを思い出させるけど、やはりスティービーと同じようにキャッチーな曲を作る。
ダニー・ハザウェイにも影響を受けていて、彼へのオマージュの曲もあります。
(ただ、音程がビミョーな口トランペットだけは、ちょっといただけないかな。)
何度か来日して小さめのところで公演していますが、小さいところで聴けるのも今のうちだな、そのうち東京ドームみたいなとこでしか聴けない人になっちゃいそうだな、と思うので、早めに生で聴きたいものだと思う。

今は 「ソフト・ソウル」 とか 「メロウ・ソウル」 とか 「ヒーリング系」 とかでくくられてしまいそうな彼だけど、まだまだビッグになって、ダニー・ハザウェイ級のスケール感を備えるだろうとみています。
ダニーが歌うと 「僕の友達」 が、とても深い同志愛、同胞愛を感じさせるような歌になっちゃうような、そんなとこまで行きそう、と思ってるのだけど…。



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2010年11月20日 (Sat)

よく駅のコンコースやスーパーの店先などでワゴンセールされてる、得体のしれないCD。
私、あれを覗くのが好きなんです。
いかにも団塊ねらいで、懐メロ洋楽のベスト盤が多い。
ねらいにまんまとはまってるわけですが、なかにはすごくお買い得の傑作もあるんですよ。 安いし。
先日買った写真下の 「ビリー・ホリディ1942ー1950」 は、とてもよく出来たベスト盤だったのでした。
ワゴンセールでみかけたら、ぜひ!

若い頃初めて彼女の歌を聴いたとき、「単調で御詠歌みたいだな」 と思った。
それがある日突然、彼女の表現力? というか、情感?にはまる。

わたくしごとですけどね、 (ブログだもんわたくしごとだよね) なまなましくなるとイヤだから詳しくは書かないけど、昔ジャズ喫茶をやってるとき、ちょっとした別れがあった。
いや、ちょっとしてなかったんだけど。 (書きづらいぞ。)
その頃店で人気があったニーナ・シモンのアルバムのなかに、英題 「If You Go Away」(彼女はフランス語で歌ってた) という、とても悲しい別れの曲があり、今日リクエストがきたらいやだなあ、聴いたら泣いちゃいそうだなあ、と思ったのでした。
ところが。 実際聴くはめになったら、全然平気。 なにもこみあげてこない。
かわりに思いがけずグッときたのは、そのあとにかけたビリーのアルバム 「奇妙な果実」(写真上) の中の、「Lover Come Back To Me」 のほうだったのでした。
全然思ってもいなかったので、不意をつかれた。
サビの 「I remember every little thing you used to do」 のところで、不覚にもポロポロと泣いてしまった。
(あの経験以来、私にとって二ーナ・シモンはビリーより完全に格下です。 二ーナは重いように見えて、実はそれほどでもないのです。 好きですけどね。)

ビリーの、ただのラブ・ソング、「I'll Be Seeing You 」(これも「奇妙な果実」所収) を聴いた戦場の兵士たちが、みな厭戦気分になってしまった、というのもよくわかります。
ビリーのラブソングは、そのままで反戦歌になった。

彼女がねっとりと、「It's My Ma~n…」 と歌うと、すなわち 「とてもいとしいいとしい男」 なのです。

このからみつくような情感にうんざりする、という人もいるでしょうねえ。
こんな重い女、ごめんだと思う男も多いでしょうね。
私だって、ビリーはそうそう毎日聴けるもんじゃない。

でもひそかに、「つきあうなら、ビリー・ホリディのわかる男」 と思い続けてきたのでした。


2010年10月20日 (Wed)

今日の朝日新聞に、映画公開の記事が載っていた。
この小説が、どのように映画になったのか…。 心配しつつ、とても興味があります。

暗い雲におおわれている冬の空。 鉛色の海。 海の反対側には山並み。 坂道。 主力産業の廃れた斜陽の町。
それがこの小説の、主人公です。
 私は、函館には行ったことがないのだけど、(汽車と連絡船では何度も何度も通ったけれども) 小樽で暮らしていたので、この沈鬱な空気感は、身に染みている。
まったく、主人公たるにふさわしい町だ。
その沈鬱さが不快かというと、そうじゃないのです。 むしろ、ゆりかごのように心地よい。

じつは、佐藤泰志さんの御一家とは少しご縁があった。
泰志さんは、ためいきばかり、ついてる、という印象があった。

急死されたとき、ご家族はさぞショックだろう、と
かける言葉を失っていると、喜美子夫人は、ぜんぜん取り乱したりせずに、言った。
「やっと、死ねたね、と思った。 むしろ、今までよく生きたって。」 
それは、忘れられない言葉だった。
このご夫婦は、いくつもいくつも修羅場を経験したのだろう。
その度に、持てる力のすべてを尽くしたのだろう。
自信と諦観と覚悟があってこその言葉である。
周りは遺された人の心配をするものだが、それを聞いたとき、「何もいうことはない。 心配はいらない。」 と思ったのだった。

当時、小説本をいただいて読んでいたけど、おととしだったか、クレイン社から 「佐藤泰志作品集」 が出て、主要な小説のほかにもエッセイなども入っているのが興味深かったのでした。

「海炭市」 は、いまや全ての地方都市の代名詞だと思います。
その中で日々を紡ぐ人たち、すべての話です。



2010年10月08日 (Fri)
気になる人のコンサートは、借金してでも行った方がいい、というのが、私の信念です。
ジェームス・ブラウンが、公演に行った何ヶ月後かに亡くなったとき、つくづく行って良かったと思った。人間はいつ亡くなるかわからないし、コンサート体験はその後ずっと人生の財産になるんだもの。 借金ならあとで返せる。

くたくたにゃん氏が、一週間前の札幌公演がよかった、と書いていたので、すごく楽しみにしていた。
昨日から、「ワークタイム」 (これ、一番好きなんです) などを店でかけて予習 (復習?) する。
二曲目のカリプソから乗ってきたようで、目をつぶって聴くとまるで壮年の現役バリバリのミュージシャンの音でした。
じつはここが問題なわけで、おい、ジャズテナー界、八十歳に現役はらすなよ、と思う。

音の太さでは、ピーク時にかなわないけど、こんなに 「歌を歌ってる」 テナーは、ロリンズのほかにはいない。

ロリンズの特徴だなあ、と思うのは、音に溜めがあるといったらいいのか、ドラムやベースが刻む 「拍」 に、ちょっとだけ遅れて音を出すことで、(こういうのを何ていうのかなあ。 シンコペーションとも違う気がするし。) そのため、ねちっこくて重たく感じるのだ。
何ていったらいいのかな。
ロリンズは、「音を、重たいものとして扱っている」 るのです。
それで 「歌う」 のだから、すごい。
それと、くねくねと、終わりたくなさそうに終わるエンディングもロリンズの醍醐味。
これは 「イン・ナ・センチメンタル・ムード」 というバラードの最後で聴けた。
ああこれが聴きたかったんだなと思ったら、なんか泣けてきた。

サイドメンは、ウェス・モンゴメリばりのオクターブ奏法をやってたラッセル・マローン(g)が良かったかな。
ドラムはお粗末で、ここはマックス・ローチでしょ…と何度も思ってしまった。

アルバム 「プレイズ・コールポーター」 でのチャーリー・パーカーが、音に艶もはりもなくなっても 「歌ってる」 ように、ロリンズも、きっと最後の最後まで 「歌う」 のでしょう。

ジャズは、やっぱり人間二代くらいで聴き手をなくしてしまうには惜しい音楽だよなあ、と平均年齢のやたら高い客層を見て思った。

「ジャズってちょっと…(よくわからない)」 というのを聞くけど、そういう人の思い浮かべてるジャズって、カフェやバーのBGMだったり、ジャズテイストのイージーリスニングだったり、へたくそなボーカルだったり、というのが多いんじゃないかなと思う。
そんな泡みたいなもん、どこがいいのか、わからなくて当然。
ロリンズでもマイルスでもモンクでもコルトレーンでも、ちょっとでもいいなと思ったビッグネームの人のピーク時の演奏を、何度も聴きこんでみる、ということしか、魅力がわかるとっかかりはない、と思う。

ロリンズは、Mr.ジャズ です。

…今日は、ジャズ宣伝普及員でした。
2010年09月06日 (Mon)
その後、「戦死者たちのバラッド」を繰り返し聴いて、やっぱり、ECMってすごくおかしいよ、とあらためて思ったのでした。
ずっと昔から(キースのケルン・コンサートとか、デイブ・リーブマンのルックアウト・ファームとか。)ひっかかっていたので、世界中にいるECMファン(すごく多い、たぶん。)を敵に回す覚悟で言うけど、ここまで「ありえない音」にしてしまっていいのか、と思います。
レーベル特有の音作り、というのは、他だってもちろんあるんだけど。
たとえばブルーノート。
ピアノはたいてい、ブルージーで、沈鬱で、みんな 「パウエルの息子」 みたいになる。
同じ技術者によるESP。→暗くて哲学的な雰囲気に加工。 ここでやる人はみんな頭良さげ。
インパルス。→骨太。
だけど、これらの歪みは、「付け加える」歪みなので気にならなかったんだと思う。
ECMは、そぎおとすの。
黒人くささや、汗くささや、息づかいや、雑味などを。
そして、ピュアで、衛生的な、やせ細った音に加工する。
結果、とてもきれいで聴きやすい音楽に。
マル・ウォルドロンの 「フリー・アット・ラスト」 とか、すぐ聞き飽きがするので、なんでだろうと思っていると、そういうことなんだな、と。

でも結局、個人的な好みの問題になっちゃうのでしょうね。
私はやっぱり、ダメです。オーディオ・マニアの方々は、ECMファンなのでしょうか? クラシックを聴く方々は?
こんな音のデューイ・レッドマンなんていないよ!と思ったので、つい書いてしまいました。
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